2011年12月1日 第9回出題「法城寺近江守正弘」


 今回の答えは、法城寺近江守正弘でした。
 私が解説するよりは、ご常連入札者の法城寺さんに解説をお願いしようかと思いましたが、そうは出来ませんね。

 ご存知のとおり、法城寺正弘は、但州法城寺国光の末裔と言われ、生国を但馬国出石郡弘原(現在の兵庫県豊岡市出石町弘原)、後に江戸に出府して滝川三郎太夫と称し、江戸法城寺派を確立した名工であります。
 一門には二代目正弘をはじめとして但馬守貞国、同じく但馬守国正、越前守正照、吉次、国光、正則などの諸工がいて、一門は大いに繁栄したと伝えています。

 初二代ともに、作風が同時代に活躍した名工長曽祢虎徹や、その弟子の興正に似ているため、虎徹の偽物に改ざんされた作品が多いと言われていますが、その偽物とやらを私は未だに経眼しておりません。
 近江守受領時期については、承応四年紀の刀に受領銘を見るので、この年以前に受領したもの考えられます。
 虎徹の作品で年紀の一番古いものは、明暦二年紀があるので、承応四年紀のある正弘の方が先輩格になるのではないでしょうか。

 また作品には、虎徹同様に山野勘右衛門永久や山野勘十郎久英など、山野一門の截断銘も多いことから、虎徹一門と山野一門や、大和守安定一門などとの親密な交流関係があったに違いないと思われます。

 作風は柴田先生の解説のとおりですが、虎徹と一番相違するのは帽子であり、虎徹や兼重などは、帽子を小丸に焼いて横手付近を焼き込むのを手癖としていますが、正弘の場合は、直に小丸に深く焼き下げるのを特徴としていること、更には、虎徹に見られる江戸焼き出しが見られないことも併せてご承知置き下さい。

 初代と二代は、作風及び銘振りが酷似しており、その判別は難しいと言われていますが、年紀から考察すると、初代は承応・万治・寛文の年紀が多く、二代は延宝・元禄の年紀が残されていることから、これらをもって代別を判断することが可能であり、もう一つ鑑定の要訣として、受領銘の「守」の最終画のテンが初代の場合「寸」の字の横棒の上にチョンと切るのに対して、二代は横棒から離れてテンを切りますので併せてご記憶下さい。

それでは、今回はこの辺で失礼します。

                              竹   屋   主   人
私の見方

Y氏
  鑑定刀は反り浅く、元先の身幅差が付き、中切先から寛文新刀と観て、銘法城寺橘近江守正弘とします。

K氏
  体配の説明から寛文新刀、元先の幅差や刃文から法成寺と推察します。近江守法成寺橘正弘。

O氏
  体配から寛文新刀とわかるが、どこへもっていったらいいかわからない。兼重か法城寺か長道かと迷うが、九字銘とのヒントから法城寺正弘とします。

H氏
  寛文新刀体配で、直刃調に小互の目となると江戸新刀、とりわけ法城寺一派に多くみられる特徴です。茎尻、鑢目、銘の切り方などもあっていると思います。