2012年5月1日 第2回出題「左安吉」 今回の答えは「左安吉」でした。 大左の子と伝えられ、生国を筑前、長じて長門に移住したことから「長州左」と古来より呼び習われています。 また、安芸国の、「小春」という地でも鍛刀しています。 作刀初期は、年紀に南朝年号を切りましたが、後に北朝年号に改めています。 これは南北朝時代の両朝の勢力範囲の推移と、在地勢力の動向に起因するものであると考えます。 短刀、脇差の作者として知られ、大左に一歩譲るものの、中々の腕達者であり、現在でも愛刀家の間では人気が高いですが、市場にはあまり売品として出てこないのが現状でしょうか。 作柄は一尺を少し越える位の小脇差が多く、大左によくある六〜七寸程度の小型の作品から、一尺二寸を越える大振りな作品もままあります。 刃文は、大左よりも小模様な五ノ目基調に湾れを交えたものが主流で、地鉄は全般に肌が立ち刃寄りは柾がかるのを特徴としています。 また、地鉄の鍛えが弱いのか、沸が少なく、匂い本位で冴えの足りないような地鉄で、備前風の棒映りが立って、前述の匂い本位の地鉄と、角五ノ目のあるものは、一見備前物に見紛う作品があります。 安吉の帽子は、美濃・関系の帽子に見られる、「倒れた帽子」が特徴とされ、帽子の先は蝋燭の芯のように尖って煙込みますが、大左の火焔帽子に見るような激しさは感じられません。 現存する作品中、柳沢家旧蔵の安吉は、同工の最高傑作といわれ、作刀当時の姿をそのまま残していると言われています。 その他に、旧大名家所蔵品のうち有名なものに、「日置安吉」「一柳安吉」「松浦安吉」などがあります。 それでは今回はこれにて失礼します。 竹 屋 主 人 私の見方 吉国氏 作風から左文字は外せないと思いますが、二字銘ですか・・・吉貞、定行、国弘、行弘、弘安、安吉の内で二字 銘を切るのは国弘、弘安、安吉と記憶していますが、帽子から安吉としておきます。 まるひ氏 形状から南北朝期の寸の延びた短刀。映りや鍛え、ヒントから、備前景光、大左の弟子。銘が二文字、倒れる 帽子などから、左安吉としました。 講評:まるひ氏の景光との対比した考え方は非常にすばらしいと思料します。 7〜8年ほど前の刀剣美術に、安吉と景光を対比した文章が冒頭の名刀鑑賞に記述がありましたことを、付け 加えておきます。 |