2012年8月1日 第5回出題「島田義助」


 今回の答えは、島田義助でした。

 ヒントにタナゴ腹とあることから伊勢筋、美濃筋の札が圧倒的に多く、入札者のほとんどの方が迷われたようです。
 その中でも、「まるひさん」、「よっちゃんさん」のずばり一の札で、島田物への入札はお見事です。

 実は今回の出題に関して、かなりのヒントが鑑定倶楽部コンテンツ内にあります。
 第1クール第8問目の過去問題の解説で詳しく述べたつもりでしたが、お気付きの方が居られないようだったのは少し残念な気もします。各自所蔵の刀剣書で確認するのも良いでしょうが、コンテンツ内の既存のデータである過去問題解説もご活用して頂ければと思います。

 島田鍛冶の系譜について、初祖は江戸時代の寛保頃に島田鍛冶助宗九代目とされる、「五条官兵衛」という人が島田鍛冶来歴書として、「代々申伝書」という記録を遺しています。
 その一節に、「先祖助宗儀、後鳥羽院様御代之節、国々鍛冶職之者被召出、月々御番鍛冶被仰付候、・・」とあり、別の条には、「・・・今川様へ被召出改名候成下、島田義助と御名付被下、則今川様御代の節は横地村と申に地所百貫文之地被下置、鍛冶職相勤罷在候。」とあります。
 これを要約すると、先祖は鎌倉時代の御番鍛冶備前福岡一文字の助宗を祖としていること。今川様の時代にお抱え鍛冶として、「義助」という名前と、「横地村」(現在の静岡県菊川市)に百貫文の土地を頂いた、ということが分かります。
 東海道の真ん中付近にある島田の地は東西交流の場でもあり、西から美濃・山城・大和の各伝法が、東から相州伝の技術が、他の交易品と共にこの地に流入され、更に先祖が備前の福岡一文字であることなど勘案すれば、五ケ伝の鍛法を惜しみなく吸収できたのでしょう。その結果として、島田鍛冶は器用な鍛冶集団として認知され、今日、愛刀家の間で語り継がれています。

 今回も少し趣向を変えて、文献(古文書)をたよりに解説を試みました。
いかがでしたでしょうか?

 それでは今回はこの辺で失礼します。

                                 竹  屋  主  人

 私の見方

 まるひさん
 一の札、島田 広助
 茎の形状、皆焼などから末の相州伝。白ける所から下原はなしとして、相州、島田、広賀、冬広などか。決定的 にどれかわからないのですが、鑢目や二筋樋や大きな作りから広助としました。

 よっちゃんさん
 今月の鑑定刀は難しい、たなご腹風、皆焼風だと末相州、下原、島田、千子、など浮かぶがいずれも決め手に 欠ける。義助とします。


 ※ まるひさんの入札所見は非常に適格なものと思いますが、折角「島田物」に入札されたのであれば、島田  鍛冶の頭領「義助」への入札が無難でしょう。
 よっちゃんさんのような、決断する能力も刀剣鑑定には必要かもしれませんね。