2012年12月1日 第9回出題「月山貞勝」


 今回の答えは、「月山貞勝」でした。

 設問の、「独特な肌」と「お祝いの銘」「化粧鑢」などから新々刀の月山系の刀工と予想がつきます。
 その中でも、「貞一」「貞勝」が有名であるのは周知のとおりで、「お祝いの銘」が切銘されていることからも決定的な鑑定要素に欠けるものの、「貞勝」が浮かびます。
 今回はズバリ一の札で「当」を取っておられた方がいましたが、本当によく勉強されています。

 月山鍛冶の歴史は古く、出羽国月山の霊場に住んだ鬼王丸(鬼神太夫とも呼ばれる)を元祖とされ、以来、月山の麓では刀鍛冶が栄え、鎌倉期から室町期にかけては、月山の銘を刻んだ刀剣は、実用性の高さと綾杉肌の神秘さから、武士階級の需要が高かったもの思われます。
 特に室町期の寛安、近則、軍勝などの刀工が知られています。

 戦国時代の乱世が終わり、江戸時代の平和な時代に入ると、月山鍛冶はいったん途絶えることになりますが、幕末になると月山鍛冶の末裔、「弥八郎貞吉」が大坂に移住し、鍛刀に励み、「貞吉」は二十代の文化年間に、「水心子正秀」のもとで鍛刀技術を修業しました。
 貞吉が44歳の時、江州犬上村より養子を迎えますが、この人が明治期において、「帝室技芸員」として有名な、「初代の月山貞一」であります。
 以来、月山一門は、関西を拠点として作刀活動を行うことになります。

 「月山貞勝」は、「初代貞一」の子で、奈良県吉野に鍛錬所を設け、貞一晩年には父に代わって代作を行いました。
 作風は備前伝の丁子乱れを得意とし、相州伝がこれに次ぎ、また刀身彫刻にも非凡な才能を発揮し、父貞一没後は、大阪月山家を継いで三男の二代貞一、高橋貞次などの人間国宝を育成し、大正十年頃から天皇陛下の御太刀、宮家、宮内庁の御下命を賜り、陸・海軍将官の御下賜(恩賜の刀・短刀)作刀に尽力された名工であります。

それでは今回は、この辺で失礼させて頂きます。

                        竹  屋  主  人

私の見方

法成寺さん
一の札:月山貞勝
よく相互に大慶直胤と間違えることのある刀工群で、どちらかというと双方苦手なところです(笑)。
綾杉肌とみるか渦巻き肌とみるかですが、これは綾杉肌ですね。
となると、月山、それも記念銘があるとなると鎌倉期の古刀を模した比較的新しい作と鑑ます。