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平成25年6月の問題 真改 - 2013/06/01(Sat) 20:58  No.1287


単独表示 今日は長男の弓道の試合を初めて見学に行ったのですが、作法といい、真剣勝負の眼差しといい、部員の熱い応援といい、久しぶりにスポーツといいますか、武道の良さを肌で感じて参りました。
しかし、ちょっと苦言を申せば、道場外の態度についてはむしろ、野球部の方がはるかにきびきびした感じを受けますし、挨拶も負けているなぁ。ちょっと武道愛好家としては残念ですが・・・。
野球部の丸坊主もいいしね〜。(^^)。ちゃらちゃらして見えてしまうような長い髪型は、武道やスポーツには不似合いだと思ってしまう私なのです。(-.-)。

では、さっそく参りましょう!!

※ 1回目入札期限1日〜7日
  2回目入札期限8日〜14日
  3回目入札期限15日〜21日

出題画像につきましては、左の画像をクリックして下さい。画像が展開されます。
また、画像が小さい場合は、もう一度画像を押しますと、最大画面となります。

☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆

日本刀柴田・柴田和男様のご好意により、隔月誌『刀和』に過去掲載された誌上鑑定を、電脳倶楽部上に再現させて頂いております。
まことにありがとうございます。
『日本刀柴田』柴田和男様に、厚く御礼申し上げます。

入札内容は、最後まで公開しませんので、思いっきり!自分の考えを論じてください。(*^_^*)。

入札投稿の際には、暗証キーの設定もお忘れなく。(^^♪。
これがないと、投稿の修正ができなくなりますので。

さて、スタートの前に、簡単なお願いです。
月刊誌『刀和』の過去問題からの出題ですので、刀和を持っていらっしゃる方は、是非、まっさらな気持ちで、再挑戦してみてください。

初めての方は、誌上鑑定で、知らず知らずのうちに、著名な刀工の名前や特徴を憶えることができますので、刀和以外の刀剣関係書籍を総動員して、正解を目指してください。

誌上鑑定は、刀身の出来以外にも、茎の形状や銘の特徴や銘の文字数、受領銘や彫に至るまで、ヒントを出してくれています。

そこで、役に立つのが、藤代の『日本刀工辞典』です。
茎の押形がたっぷり掲載されています。
これで、目当ての刀工と照合するのも良いと思います。

そして、このコーナーで、問題と柴田和男氏の回答を見比べ、誌上鑑定の力を付けて、実際に刀を見るときの助けとして頂ければ幸いです。

また、こんな楽しい誌上鑑定を、隔月誌『刀和』には、掲載されております。
誌上鑑定と、刀剣を購入される指針として、『刀和』をお勧め致します。
詳細は、リンクから『日本刀柴田』へお入り下さい。

では、スタートです。(^o^)/。

回答は、6月28日頃と致します。


Re: 平成25年6月の回答 真改 - 2013/06/28(Fri) 13:27  No.1297
くま 単独表示 今回の答えは、新々刀の代表工であり、かつ、鍛刀技術の教育者としても名声を誇る、「水心子正秀」でした。

今年の出題は、巨匠・名工と呼ばれる刀工が多く、それも初出題という傾向にあります。
意図した結果ではないにしろ、日本刀鑑定の奥深さを改めて感じる出題となりました。
さすがに、鑑識眼の高い回答者諸兄にとっては、今回は物足りなさを感じたと思います。

羽州米沢の上杉藩領の中山村諏訪原(山形県南陽市元中山)にて出生、早くに父を亡くし本家筋である鈴木権次郎宅に身を 寄せ、初名を三治郎と称しました。
その後、野鍛冶となり鍛冶の基礎を下長井小出(長井市小出)の吉沢三次郎に学び、後に、刀工を志して山形へ修行に出、更に、武州八王子下原の宮川吉英の下で腕を磨き、鈴木宅英と称して76歳で没します。

安永3年(1774年)、山形藩主秋元永朝公に破格の待遇で召抱えられました。当時の下士の扶持は一人から三人扶持が定例でありましたが、正秀は七扶持を給されています。一人扶持は大体米二石程度でありますから、おおよそ十四石が正秀の年収でありました。

秋元家に召し抱えられ川部儀八郎正秀と名乗り、しばらくして水心子と号しました。過去の作刀の研究を続け、名工の子孫に教えを請い、中でも寛政元年(1789年)、刀工正宗の子孫、「山村綱廣(同家は代々綱廣を名乗る)」に入門し、秘伝書を授けられました。
 また、石堂是一に備前一文字伝の技術を乞うたと伝わります。

 特筆されるのは、その技術を十数冊の本として刊行し、公開したことです。特に、「古今製作刀剣弁疑」略して「刀剣弁疑」や、「刀剣実用論」後に「刀剣武用論」と解題は有名です。門弟も仙台国包十代目をはじめてとして百余人を数え、生涯に369振の刀を作刀したといわれます。門弟で第一は、やはり、「大慶直胤」が最右翼になりますね。

 正秀の作風にはムラがあり、新々刀第一と称される作品もあれば、並作以下のものも見られます。正秀の作品を購入するにあたり注意を要する点でもあります。

 今回は新々刀の始祖と言われる水心子正秀でした。
 それではこの辺で失礼します。

                         竹  屋  主  人



私の見方

よっちゃん氏

鑑定刀は、切っ先が伸び、鍛がやや硬い感じで、花押が有るところから、新々刀と観て、濤瀾刃風だと尾崎助隆、手柄山正繁、水心子正秀が浮び、湾れを主にした互の目乱れ及びヒントから銘 水心子正秀 とします。

法城寺氏

体配からは新刀・新々刀区別つけがたいが化粧鑢と「やや硬い」地鉄から新々刀とみる。
湾れに互の目、匂い深いとなると水心子正秀、左行秀、市毛徳鄰、直江助政、奥元平。
その中で刃上がりの栗尻は正秀と徳鄰。花押があり、なによりも多くの弟子を育成となれば正秀。助広・真改の写しが多く、この作も典型的に見えます

どれも適格な所見ですね。次回も宜しくお願いします。