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平成25年8月の問題 真改 - 2013/07/31(Wed) 22:50  No.1311


単独表示 なんだかあっという間に8月です。(+o+)。
暑い日が続いていますが、皆様、適切に温度管理と水分補給にお気を遣い下さいね。
全国的には、50歳のお若い人でも、熱中症でお亡くなりになっています。

しっかりと体調管理をして、この時期を乗り越えましょう!(^O^)/。

では、さっそく参りましょう!!

※ 1回目入札期限1日〜7日
  2回目入札期限8日〜14日
  3回目入札期限15日〜21日

出題画像につきましては、左の画像をクリックして下さい。画像が展開されます。
また、画像が小さい場合は、もう一度画像を押しますと、最大画面となります。

☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆

日本刀柴田・柴田和男様のご好意により、隔月誌『刀和』に過去掲載された誌上鑑定を、電脳倶楽部上に再現させて頂いております。
まことにありがとうございます。
『日本刀柴田』柴田和男様に、厚く御礼申し上げます。

入札内容は、最後まで公開しませんので、思いっきり!自分の考えを論じてください。(*^_^*)。

入札投稿の際には、暗証キーの設定もお忘れなく。(^^♪。
これがないと、投稿の修正ができなくなります。

さて、スタートの前に、簡単なお願いです。
月刊誌『刀和』の過去問題からの出題ですので、刀和を持っていらっしゃる方は、是非、まっさらな気持ちで、再挑戦してみてください。

初めての方は、誌上鑑定で、知らず知らずのうちに、著名な刀工の名前や特徴を憶えることができますので、刀和以外の刀剣関係書籍を総動員して、正解を目指してください。

誌上鑑定は、刀身の出来以外にも、茎の形状や銘の特徴や銘の文字数、受領銘や彫に至るまで、ヒントを出してくれています。

そして、このコーナーで、問題と柴田和男氏の回答を見比べ、誌上鑑定の力を付けて、実際に刀を見るときの助けとして頂ければ幸いです。

また、こんな楽しい誌上鑑定を、隔月誌『刀和』には、掲載されております。
誌上鑑定と、刀剣を購入される指針として、『刀和』をお勧め致します。
詳細は、リンクから『日本刀柴田』へお入り下さい。

では、スタートです。(^o^)/。

回答は、8月28日頃と致します。


Re: 平成25年8月の答え 真改 - 2013/08/29(Thu) 18:43  No.1321
くま 単独表示 今回の答えは、初代武蔵大掾是一(石堂是一)でした。
初代是一は、江戸時代の武蔵国の刀工で名前を川上左近と称しました。
今回の入札では、特徴を良く把握され、一の札「当」が多く入札者諸兄の鑑識眼の高さが窺えました。

新刀上作にして良業物として、江戸石堂派の代表工であります。石塔の字をあて古刀期に近江国蒲生郡石塔村に居住した刀工群で、系統的には備前一文字系と高木貞宗系の二説があります。
備前一文字説には、一文字助宗の末裔が、長船より石塔寺門前に移住して石堂派の祖となったとするものと、吉岡一文字の末流とする説があります。
高木貞宗系では、門人の守山住高弘の子、助長を初祖とする説と甘呂利長の弟子とする説があります。

新刀期に石堂を名乗るものとして、今回の武蔵大掾是一、日置光平、常光らの江戸石堂一派や土佐将監為康などの紀州石堂、福岡石堂の是次や筑前石堂の守次などがいて、新刀期に多いに栄えました。

作柄としては地鉄に乱れ映りが立ち、匂出来に小沸のついた大丁子刃を焼くなど、鎌倉時代の福岡一文字派の作を狙ったものが多いが、古作に比して反りが浅く、地鉄が小板目肌の詰んだものが多く、また鎬地に柾目肌が強く出て、刃文がこずむ点で一文字と異なります。是一の名は明治に至るまで襲名されており、幕末の運寿是一は特に名人として名高いことは周知のとおりです。

新刀期の石堂一派は、江戸・紀州・福岡・筑前それぞれに丁子乱れに特徴があって、これらを把握することにより、新刀石堂派の鑑定要訣を極めることが可能かと思われます。

それでは今回はこれにて失礼します。

竹  屋  主  人

私の見方

法城寺さん
一の札:武蔵大掾是一(初代是一)
刃長から見ると江戸時代上期、新々刀期両方考えられるが、体配の、反り少な目に元先に幅差ありから寛文あたりの新刀と見た方が妥当(長さ的にはそれより前慶安くらいでもいいとは思いますが)。この時期の備前伝は武蔵大掾を筆頭に江戸石堂、大坂(紀州)石堂、福岡石堂などがあり刀工も多い。その中で丁子が、逆がかるのは是一、福岡石堂の是次、守次に絞られる。が、是次らは帽子が乱れこむものが多く、茎尻が栗尻となる。従って、帽子が直ぐに小丸など素直なものが多く、茎尻が入山形である是次。二代は年紀のあるものが多く、幕末の運寿是一には映りは少ない。

まるひさん
一の札、武蔵大掾藤原是一
形態から新刀、丁子乱、柾目、映りがあるところから石堂派。茎や逆かがかる刃もん、帽子などから是一としました。
※いつもながら御丁寧な所見有難うございます。(竹屋主人)



平成25年7月の問題 真改 - 2013/06/30(Sun) 19:12  No.1298


単独表示 徳島では久しぶりの阿波刀の企画展示が、徳島城博物館で開かれています。
私も、ずいぶん刀剣と触れ合う機会から遠ざかっておりますので、訪れてみたいと思っております。

案外、郷土の刀剣がまとまって見えるなんて、なかなかないと思いますので、お近くの皆様は、ぜひ、お立ち寄りください。

では、さっそく参りましょう!!

※ 1回目入札期限1日〜7日
  2回目入札期限8日〜14日
  3回目入札期限15日〜21日

出題画像につきましては、左の画像をクリックして下さい。画像が展開されます。
また、画像が小さい場合は、もう一度画像を押しますと、最大画面となります。

☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆

日本刀柴田・柴田和男様のご好意により、隔月誌『刀和』に過去掲載された誌上鑑定を、電脳倶楽部上に再現させて頂いております。
まことにありがとうございます。
『日本刀柴田』柴田和男様に、厚く御礼申し上げます。

入札内容は、最後まで公開しませんので、思いっきり!自分の考えを論じてください。(*^_^*)。

入札投稿の際には、暗証キーの設定もお忘れなく。(^^♪。
これがないと、投稿の修正ができなくなります。

さて、スタートの前に、簡単なお願いです。
月刊誌『刀和』の過去問題からの出題ですので、刀和を持っていらっしゃる方は、是非、まっさらな気持ちで、再挑戦してみてください。

初めての方は、誌上鑑定で、知らず知らずのうちに、著名な刀工の名前や特徴を憶えることができますので、刀和以外の刀剣関係書籍を総動員して、正解を目指してください。

誌上鑑定は、刀身の出来以外にも、茎の形状や銘の特徴や銘の文字数、受領銘や彫に至るまで、ヒントを出してくれています。

そして、このコーナーで、問題と柴田和男氏の回答を見比べ、誌上鑑定の力を付けて、実際に刀を見るときの助けとして頂ければ幸いです。

また、こんな楽しい誌上鑑定を、隔月誌『刀和』には、掲載されております。
誌上鑑定と、刀剣を購入される指針として、『刀和』をお勧め致します。
詳細は、リンクから『日本刀柴田』へお入り下さい。

では、スタートです。(^o^)/。

回答は、7月28日頃と致します。


Re: 平成25年7月の問題 真改 - 2013/07/29(Mon) 21:58  No.1310
くま 単独表示 今回の答えは「冬広」でした。

今年は初登場の問題ばかりで解説も苦慮しております。今回の出題の冬広もそうですね。
なかなか難題であったようで、ご常連の諸兄も回答にはご苦労されたことと存じます。

「冬広」と言えば、「若州冬広」が有名でありますが、この冬広の出自については二つの説があり、ひとつは、相州広次の三代目の子として応永二十四年(1417年)生まれ、明応十一年(1502年)没で「相州住冬広」と切銘のある作品が残されています。ふたつ目は、相州広次二代目の門人として、永和頃(南北朝期)に活躍したとの伝承がありますが、そんなに古い「冬広」の作品は現存していないのが実情です。

手持ち資料で冬広の最古の年紀作が、「明応三年八月○○日」というのがあり、その他に「永正十二年 七十三歳」と切銘したものがあると言われていますが、実質上の冬広初代の晩年作ではなかろうかとされています。

冬広一門は絶えることなく連綿として続き、幕末には高橋長信という名工を輩出したことは特筆されます。ここで面白い話をひとつ、「本能寺の変」を引き起こした「明智光秀」、実は四代目冬広の次男という説があります・・・。
余談ということで、興味のある方は歴史書或いは刀剣古書を紐解いてみて下さい。

さて、今回の冬広は若州冬広の系統ではありますが、分家筋あるいは弟子筋の冬広と言われる傍系で、永正頃に「伯州住冬広」があり、また、大永頃に「備前国住冬広」銘の作品があり、その後、天文頃に「雲州冬広作」があり、今回の出題刀がこれに該当するものと思われます。高橋姓を名乗っていることから、前述の高橋長信はこの系統の末裔と考えられます。

作風は、末相州風で地鉄は杢目に柾混じり、肌が立ち気味、沸出来でムラがあるものが多く、刃文は直刃や五の目乱れのものを見ます。帽子は乱れ込んで返りが長くなるものが主体で、茎はタナゴ腹風で先細るものと細らない二様が見受けられます。
短刀には、山城伝風な肌が詰まって美しく、細直刃を焼いた上品な作品が稀にあります。

それでは、今回はこの辺で失礼します。


竹  屋  主  人


私の見方

法城寺さん

体配から室町時代、黒ずむ鉄色と白けとなると北国物となり、加州真景、麻古当麻信長、藤島友重、宇多派の諸工が挙がってくる。真景と麻古信長は在銘の太刀は稀有なので外すと、藤島派か越中宇多かということになります。茎の形状の先の細る栗尻というのが「加州茎」のように受け取れるので、藤島系刀工を考えたい。
藤島系と言えば友重ですが、長銘と4字銘・2字銘はあっても3字銘はあまり聞かない。そこで宇多にも行きたくなるが、宇多にも3字銘は聞かない。3字銘を見るのは加州真景系刀工の中で家正、家次を名する刀工が数代あり、作の字を入れて3字銘の作を残している。
さらにその中で家正は、師系である真景風の作柄の物はなくむしろ藤島派に見るような作が多いとのこと。したがって加州家正とします。


まるひさん

法量、形態から室町期の打刀。ヒントから北国もの。宇多、藤嶋、冬広、真景、信長あたり。深くかえる帽子、こずむ刃などから藤嶋友重としました。


※ いずれも「当」の所見ではありませんが、鑑定のプロセスとしては非常に良く考察され素晴らしい所見だと思います。北国物と大まかに捉えて頂ければそれで「当同然」ということで良いのではないでしょうか。場違い物でも時として、本国物を凌駕する作品があることもお忘れなく。


平成25年6月の問題 真改 - 2013/06/01(Sat) 20:58  No.1287


単独表示 今日は長男の弓道の試合を初めて見学に行ったのですが、作法といい、真剣勝負の眼差しといい、部員の熱い応援といい、久しぶりにスポーツといいますか、武道の良さを肌で感じて参りました。
しかし、ちょっと苦言を申せば、道場外の態度についてはむしろ、野球部の方がはるかにきびきびした感じを受けますし、挨拶も負けているなぁ。ちょっと武道愛好家としては残念ですが・・・。
野球部の丸坊主もいいしね〜。(^^)。ちゃらちゃらして見えてしまうような長い髪型は、武道やスポーツには不似合いだと思ってしまう私なのです。(-.-)。

では、さっそく参りましょう!!

※ 1回目入札期限1日〜7日
  2回目入札期限8日〜14日
  3回目入札期限15日〜21日

出題画像につきましては、左の画像をクリックして下さい。画像が展開されます。
また、画像が小さい場合は、もう一度画像を押しますと、最大画面となります。

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日本刀柴田・柴田和男様のご好意により、隔月誌『刀和』に過去掲載された誌上鑑定を、電脳倶楽部上に再現させて頂いております。
まことにありがとうございます。
『日本刀柴田』柴田和男様に、厚く御礼申し上げます。

入札内容は、最後まで公開しませんので、思いっきり!自分の考えを論じてください。(*^_^*)。

入札投稿の際には、暗証キーの設定もお忘れなく。(^^♪。
これがないと、投稿の修正ができなくなりますので。

さて、スタートの前に、簡単なお願いです。
月刊誌『刀和』の過去問題からの出題ですので、刀和を持っていらっしゃる方は、是非、まっさらな気持ちで、再挑戦してみてください。

初めての方は、誌上鑑定で、知らず知らずのうちに、著名な刀工の名前や特徴を憶えることができますので、刀和以外の刀剣関係書籍を総動員して、正解を目指してください。

誌上鑑定は、刀身の出来以外にも、茎の形状や銘の特徴や銘の文字数、受領銘や彫に至るまで、ヒントを出してくれています。

そこで、役に立つのが、藤代の『日本刀工辞典』です。
茎の押形がたっぷり掲載されています。
これで、目当ての刀工と照合するのも良いと思います。

そして、このコーナーで、問題と柴田和男氏の回答を見比べ、誌上鑑定の力を付けて、実際に刀を見るときの助けとして頂ければ幸いです。

また、こんな楽しい誌上鑑定を、隔月誌『刀和』には、掲載されております。
誌上鑑定と、刀剣を購入される指針として、『刀和』をお勧め致します。
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では、スタートです。(^o^)/。

回答は、6月28日頃と致します。


Re: 平成25年6月の回答 真改 - 2013/06/28(Fri) 13:27  No.1297
くま 単独表示 今回の答えは、新々刀の代表工であり、かつ、鍛刀技術の教育者としても名声を誇る、「水心子正秀」でした。

今年の出題は、巨匠・名工と呼ばれる刀工が多く、それも初出題という傾向にあります。
意図した結果ではないにしろ、日本刀鑑定の奥深さを改めて感じる出題となりました。
さすがに、鑑識眼の高い回答者諸兄にとっては、今回は物足りなさを感じたと思います。

羽州米沢の上杉藩領の中山村諏訪原(山形県南陽市元中山)にて出生、早くに父を亡くし本家筋である鈴木権次郎宅に身を 寄せ、初名を三治郎と称しました。
その後、野鍛冶となり鍛冶の基礎を下長井小出(長井市小出)の吉沢三次郎に学び、後に、刀工を志して山形へ修行に出、更に、武州八王子下原の宮川吉英の下で腕を磨き、鈴木宅英と称して76歳で没します。

安永3年(1774年)、山形藩主秋元永朝公に破格の待遇で召抱えられました。当時の下士の扶持は一人から三人扶持が定例でありましたが、正秀は七扶持を給されています。一人扶持は大体米二石程度でありますから、おおよそ十四石が正秀の年収でありました。

秋元家に召し抱えられ川部儀八郎正秀と名乗り、しばらくして水心子と号しました。過去の作刀の研究を続け、名工の子孫に教えを請い、中でも寛政元年(1789年)、刀工正宗の子孫、「山村綱廣(同家は代々綱廣を名乗る)」に入門し、秘伝書を授けられました。
 また、石堂是一に備前一文字伝の技術を乞うたと伝わります。

 特筆されるのは、その技術を十数冊の本として刊行し、公開したことです。特に、「古今製作刀剣弁疑」略して「刀剣弁疑」や、「刀剣実用論」後に「刀剣武用論」と解題は有名です。門弟も仙台国包十代目をはじめてとして百余人を数え、生涯に369振の刀を作刀したといわれます。門弟で第一は、やはり、「大慶直胤」が最右翼になりますね。

 正秀の作風にはムラがあり、新々刀第一と称される作品もあれば、並作以下のものも見られます。正秀の作品を購入するにあたり注意を要する点でもあります。

 今回は新々刀の始祖と言われる水心子正秀でした。
 それではこの辺で失礼します。

                         竹  屋  主  人



私の見方

よっちゃん氏

鑑定刀は、切っ先が伸び、鍛がやや硬い感じで、花押が有るところから、新々刀と観て、濤瀾刃風だと尾崎助隆、手柄山正繁、水心子正秀が浮び、湾れを主にした互の目乱れ及びヒントから銘 水心子正秀 とします。

法城寺氏

体配からは新刀・新々刀区別つけがたいが化粧鑢と「やや硬い」地鉄から新々刀とみる。
湾れに互の目、匂い深いとなると水心子正秀、左行秀、市毛徳鄰、直江助政、奥元平。
その中で刃上がりの栗尻は正秀と徳鄰。花押があり、なによりも多くの弟子を育成となれば正秀。助広・真改の写しが多く、この作も典型的に見えます

どれも適格な所見ですね。次回も宜しくお願いします。 


平成25年5月の問題 真改 - 2013/05/01(Wed) 19:27  No.1274


単独表示 4月末から本日にかけては、気温の変動がとても激しく、真夏のような暑さかと思えば、また3月下旬のような気温になったりと、体調管理に気を遣う今日この頃です。
鳥インフルエンザの影響がGW明けにも活発化しそうなニュースがあったりと、のんびりもしていられない状況が続いております。
色んな面で皆様、健康には特に注意を払い、この時期を乗り切りましょう!\(^o^)/。

では、さっそく参りましょう!!

※ 1回目入札期限1日〜7日
  2回目入札期限8日〜14日
  3回目入札期限15日〜21日

出題画像につきましては、左の画像をクリックして下さい。画像が展開されます。
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では、スタートです。(^o^)/。

回答は、5月28日頃と致します。



Re: 平成25年5月の答え 真改 - 2013/05/28(Tue) 20:49  No.1286
くま 単独表示  今回の答えは、「長船鍛冶の祖、光忠」」でした。 

 光忠は長船派の実質的な祖であると言われ、作風は古備前派に見られる小沸づいた小乱れの作から、華やかな乱れ刃を焼いた豪壮なものまで作域が広く、この華やかな作風に魅せられた織田信長は、生涯二十振り以上の光忠を愛蔵したといわれます。特に、「三好義賢(三好長慶の弟)」が討死にした時に帯びていた「実休光忠」に執着し、これを手に入れると、光忠の中の第一番として常に傍に置き、本能寺の変で信長の命とともに焼失しました。ちなみに「実休」とは、「三好義賢」の号です。

 光忠にはこの時代の刀工作品の中では現存品が多く、特に在銘品よりも無銘極め物の方により華やかな作が見られます。また古備前派にも同銘の刀工が存在しますが、明らかに作風や銘の書体が異なり別人として扱われています。

 光忠の作柄の特徴として、体配は鎌倉時代中期に見られる独特な姿で、反りが高く腰反りついて、重ねが厚く、身幅が広く、切先が猪首切先となる豪壮な姿となりますが、この猪首切先は研ぎ減りによる摩耗の結果で元来の切先ではないと主張する先生もおります。
 
 私もこの意見には同意で、身幅との釣り合いから、当初から見た目とバランスの悪い恰好に作刀するとは思えませんし、鎌倉時代に製作されたものが戦国時代の合戦に使用されたことを顧みれば、研ぎ減りによる変形は頷けますし、光忠に猪首が多いのは、古来より光忠は人気の刀工で、例え切先が減ろうが「霊剣視」され、愛蔵し続けられた結果と思います。

 地鉄は小板目肌がよく詰み、細かい地沸がつき、乱れ映りが鮮やかに立ち、刃文は匂い出来の互の目の丁子乱れを基本として、福岡一文字に見られるような蛙子丁子(かわずこちょうじ)、重花丁子(じゅうかちょうじ)を交えた豪壮で華麗なものが多いが、古備前風の直刃小乱れに丁子足が入る小模様の作もあり、作域の広さを物語ります。
 また長船派は、一文字派ほど焼刃の高低が目立たず、互の目を交える点が鑑定の要訣といえます。

 最後に光忠の詳細につきましては、第4クール第3回に詳細を載せていますので再読いただければ幸甚です。

 それでは今回は、この辺で失礼します。


                      竹  屋  主  人
私の見方

よっちゃんさん
鑑定刀は設問文から、鎌倉中期の備前刀と観て、一文字だと小沸がもう少し付のと、下半の焼き刃に比べ物打ちあたりの焼きが低いのと、地刃共に冴える状態から長船物として、「光忠」とします。

まるひさん
法量、形状から鎌倉前期から中期の太刀。古備前、一文字、長船。物打が下より穏やかで尖り刃、乱れ込み焼き詰めなる帽子などから「長船光忠」としました。

※みなさん大変良い見方をしていますね。


平成25年4月の問題 真改 - 2013/04/01(Mon) 09:33  No.1261
くま 単独表示 東京は桜が満開になってもう1週間位になりますので、そろそろ散り始めているでしょうか。
徳島は、満開になって2日くらいですが、風が強く、桜の花びらが舞っており、入学式の頃には、
花を見ることができないかもしれないですね。ちょっと残念です。

さて、朝晩はまだまだ寒く、日中との気温差が大きいので、皆様におかれましては、体調を崩さないように
お気をつけ下さいませ。m(__)m。

では、さっそく参りましょう!!

※ 1回目入札期限1日〜7日
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また、画像が小さい場合は、もう一度画像を押しますと、最大画面となります。

☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆

日本刀柴田・柴田和男様のご好意により、隔月誌『刀和』に過去掲載された誌上鑑定を、電脳倶楽部上に再現させて頂いております。
まことにありがとうございます。
『日本刀柴田』柴田和男様に、厚く御礼申し上げます。

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入札投稿の際には、暗証キーの設定もお忘れなく。(^^♪。
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さて、スタートの前に、簡単なお願いです。
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初めての方は、誌上鑑定で、知らず知らずのうちに、著名な刀工の名前や特徴を憶えることができますので、刀和以外の刀剣関係書籍を総動員して、正解を目指してください。

誌上鑑定は、刀身の出来以外にも、茎の形状や銘の特徴や銘の文字数、受領銘や彫に至るまで、ヒントを出してくれています。

そこで、役に立つのが、藤代の『日本刀工辞典』です。
茎の押形がたっぷり掲載されています。
これで、目当ての刀工と照合するのも良いと思います。

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回答は、4月28日頃と致します。



Re: 平成25年4月の解説 真改 - 2013/05/01(Wed) 19:24  No.1273
くま 単独表示 今回の答えは、「仙台国包初代」でした。

 これ程の有名工が、1月の助広ともども初登場というのは、刀剣世界の奥深さを改めて認識せざるを得ません。
 さて初代国包ですが、仙台城下国分若林に居住し、大和保昌五郎の末裔と言われ、当初は源蔵と名乗り、その後、本郷吉之充と名乗ります。伊達正宗公の命により慶長十九年(1614年)京都の三品一門の越中守正俊に入門しますが、まさに大阪冬の陣や翌年の夏の陣により、関西地方の政情の不安さが増し、これを憂いた結果、一旦仙台へと戻ります。元和二年に再び京にあがり、越中守正俊の門人として修業に励みますが、作風は三品一門のそれとは全く異なる大和保昌伝の柾目鍛えに磨きをかけます。

 約3年間の修業を終え、元和五年に帰国し、寛永三年(一説には四年)に山城大掾を受領します。三品一門の作風を踏襲しなかった理由の一つとして、受領するのが目的だったとも言われています。

 作風は柾目が詰んで地沸が絡んだものが多く、まれに板目肌に柾目が絡んだものもあり、帽子は大和保昌伝の焼詰めで掃きかけるものもあります。刃文は直刃に古典的な直刃にホツレを交えたものや、直刃に小五ノ目を交えたものもあり、五ノ目揃ったものも散見されます。
 刀姿は慶長新刀と寛文新刀の中間で、反りが寛文新刀より少しついた、所謂寛永新刀体配と言われる過渡的な姿と言って良いでしょう。

 また偽物の多い刀工として有名で、長銘の上に「九曜紋」を切ったものや、「若林住」と切ったものには偽銘が多いと聞き及んでいます。

 寛永十三年五月に伊達正宗公が逝去すると、剃髪して仏門に入ります。その際に法名を「仁沢」と名乗り、松島の瑞巌寺の雲居禅師より、「用恵(ゆうえいと読む)」の諱を授かります。「用恵国包」銘の由来はこんなところ来ています。

 それでは、今回の解説はこの辺で失礼します。

                                  竹  屋  主  人

 今回も素晴らしい所見が沢山見受けらました。入札者の皆さん有難うございます。
 さて、その中でも非常に参考になる所見を1つ紹介します。

法城寺さん

 体配は寛文新刀というより、寛永の頃の寛文新刀ほど元先に差のないよう姿に見える。
砂流し・打ちのけ・柾目鍛えとなると大和伝、この時代では南紀重国と仙台国包となるが、重国は板目が混じり純然たる柾目とはならず、鑢目も勝手下がりと差異がある。
 となると仙台国包が残る。八字であることから二代の山城守ではなく初代となる。


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