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中世城郭紀行
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キリ番ゲット   鬼丸 : 2014/09/20(Sat) 18:24 No.159
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永い間、更新を怠っていましたがそろそろ再開する予定です。城郭ファン、歴史ファン、刀剣ファンの方々こうご期待くださいませ。 [返信]
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:一年間お世話になりました   真改 : 2013/12/31(Tue) 19:16 No.156
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本年は大変お世話になりました。m(__)m。

来年も続けて、よろしくお願い申し上げます。

どうぞ、良いお年をお迎えくださいませ。
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Re: :一年間お世話になりました   花散里 : 2013/12/31(Tue) 19:19 No.157

今年は、いろいろと新しい知識を得ることができました。
これも、鬼丸さんにお誘いいただいたおかげです。

キツイ山登りも、しばらくするとまた行きたくなるのが不思議です。

来年もよろしくお願いいたします。
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Re: 明けましておめでとうございます   真改 : 2014/01/01(Wed) 09:02 No.158

本年もよろしくお願い申し上げます。 [返信]
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【祝、富士山世界文化遺産登録】   鬼丸 : 2013/06/22(Sat) 20:17 No.150
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ユネスコの世界遺産委員会は、22日午後5時半頃に「富士山を三保の松原」を含めた形で世界文化遺産として登録することを決めた。文化遺産とは言っても「富士講」関連の信仰を対象した遺跡が多く、城跡に関しての登録は無かったように記憶する。

しかしながら富士山麓には山梨県側、静岡県側ともに数多くの中世城郭跡が現存してしている。富士山観光のついでに城跡探訪も一興かと思います。 (画像をクリックすると大きい画像になります。)

【写真左】(静岡県静岡市清水区)
薩多峠からの富士山、歌川広重の浮世絵で有名な場所ですが、南北朝時代と戦国時代に「陣場」が置かれ場所です。

【写真中】(静岡県富士宮市)
「南条館」南西方向からの富士山、「南条館」は鎌倉時代の平地居館の遺構を残す極めて貴重な館跡で、現在は妙蓮寺というお寺の敷地となっています。

【写真右】(山梨県南都留郡富士河口湖町)
日本最高所にある城郭として有名な「御坂山城」登山口にある「天下茶屋」の前からの富士山、太宰治がこよなく愛した場所で「富士には月見草がよく似合う」と詠んだ場所として有名です。

単独表示 薩多峠.jpg 単独表示 富士宮.jpg 単独表示 御坂山.jpg
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Re: 【祝、富士山世界文化遺産登録】   八丁堀 : 2013/06/22(Sat) 21:25 No.151

鬼丸さん

富士山が世界文化遺産として登録されましたが、色んな計画が発案され、近くに住んでいる私達は喜んで良いのやら悪いのやら複雑です。世界中から訪れる人が増え、河口湖周辺の道路は大変混む事でしょう。また富士スバルラインを道路から富士急行の鉄道に替える構想まで出て来まして、入山料や観光収入を得ようと必死の様です。今迄と差ほど変わらないのが一番良いのにと思うのです。大手の企業が入って来ると結局は地元のお土産物屋さんや、飲食店は潤わないと思いますし、色々な施設を建てて自然破壊に繋がると思います。なかなか世界文化遺産も難しいですね。
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Re: 【祝、富士山世界文化遺産登録】   鬼丸 : 2013/06/25(Tue) 20:09 No.152

八丁堀さん

レス有難うございます。世界文化遺産登録は一長一短、一喜一憂って感じですね。近世までは富士登山は関銭みたいなものを支払って参拝登山をしていたようです。また構成資産の一つ村山浅間大社は、戦国時代に駿河の国人領主葛山氏一族の支配下にあったことは残念ながらあまり知られていませんね。

富士山の次は韮山反射炉を含む世界工業遺産の登録も進んでいるようですし、韮山城及び天ケ岳城砦群とそれらを取り巻く豊臣勢の陣城も併せて国指定史跡の動きもあるようです。
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最近連絡がありませんが・・・   八丁堀 : 2013/07/04(Thu) 21:53 No.153

鬼丸さん、八兆堀です。

本日メールをしました。ここの所連絡がありませんが、体の具合で
も悪いのでしょうか?心配です。メールにも書きましたが、大仙山
の西尾根に新たに櫓台と堀切を伴った砦遺構を見付けました。「大
仙山西砦」と命名したいと思います。時間がある日に行かれて見て
下さい。
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Re: 【祝、富士山世界文化遺産登録】   鬼丸 : 2013/07/05(Fri) 12:51 No.154

八丁堀さん

ご心配をお掛けしています。今月に入り公私ともどもバタバタしておりまして失礼をしています。  (謝謝)
大仙山は想像以上の遺構が眠っていて魅力満載ですね。
これからの季節、攻城にはちょっときつい天候となります。無理をせずに、ご自愛専一にと思います。
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【大洞若子城】(静岡県浜松市天竜区佐久間町相月字向皆外)   鬼丸 : 2013/06/20(Thu) 13:51 No.149
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奥山氏の一族・奥山加賀守定吉が築いたといわれる山城で、水窪川及び大洞沢に挟まれた小高い山に築城されている。この山の山頂を本曲輪とし、比較的新しいお社が鎮座している。南北12m、東西10mのコンパクトな曲輪であるが背後には大きな岩が散在しており、それらが天然障害となり要害さを増している。本曲輪の位置からは、前回紹介した高根城方向が眺望できるが視界は狭く、眼下には根小屋と思われる「向皆外」の集落が望める。

本曲輪から南南東に向け130mの狭い屋根が続く、山頂から南へ約50mほど下ったところに尾根を遮断する二重堀切がある。
この二重堀切は、一つ目の堀切と二つ目の堀切とはかなりの段差があり、二重堀切というよりは二段堀切の呼び名が適当ではないだろうか。

更に尾根を進むと小高い削平地に辿りつく。南側は人工的に削平が行われた痕跡が残り腰曲輪状の平場を形成している。更に進むと一条の堀切があり、そこから急傾斜の登りとなることから、この堀切を境に城外と城内を区分できると思われる。実際にこの急傾斜地のピークまで行ってみたが遺構らしきものはなかった。二重堀切や曲輪の配置状況が高根城を縮小した感じの小規模な縄張りである。高根城同様に武田方の改修が行われたかもしれない。

【若子城の現地案内板】より。
「むかし、この大洞山のふもとに若子城というお城がありました。戦国の頃、その若子城主の奥山加賀守は、兄弟の戦いに敗れ兄の定茂の手によって城から追い出されてしまいました。(以下略)」

戦国時代は下剋上の時代と言われていますが、親兄弟での家督や所領争いが原因の戦は、全国各地で行われていたようで、この遠州の山あいの地も例外では無かったことが理解できます。

【地図】
http://www.mapion.co.jp/m/35.133242_137.864306_8/?wgs=1

【写真左】
若子城大手口付近にある大岩、岩は食違い状になっていて、当時も虎口として利用した可能性が高い。神話や昔話に出てくる「鬼の岩戸」を連想させる。自然物の大岩などを障害構成に利用した例は全国的にも多いが、これだけ大きな岩が虎口となれば寄せ手も圧倒されてしまうだろう。

【写真中】
本曲輪にあるお社、中には奥山加賀守定吉を祭る石碑がある。お社の背後は岩場となり天然の切岸となってに谷へ落ちている。
足元は浮石もあるなどかなり不安定である。とても危険なので近寄らない方が無難です。

【写真右】
二重堀切、手前の堀切は幅約7m深さ約5mの規模で、その背後にこれより小さな堀切がある。この堀切のある尾根の右手には大手道と思われる道があり、この道に対して横矢が掛かるような縄張りとなっている。

単独表示 若子城 大手前 岩虎口 .jpg 単独表示 若子城本郭.jpg 単独表示 若子城二重堀切.jpg
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【天空の山城:高根城】(静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方)   鬼丸 : 2013/06/09(Sun) 17:33 No.148
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静岡県と長野県の境に近い、静岡県浜松市天竜区水窪町にある高根城を訪城、昨年開通した新東名高速道路のお蔭で、北遠地方へのアクセスが容易になりました。と言うものの「浜松浜北IC」を降りてから国道152号線(別名:秋葉街道)を1時間以上も北上しなければならない。

経路途中には「二俣城」や「鳥羽山城」などがあり、まさに中世城郭街道と言えましょう。城郭以外のガイドブックによれば「平家の落人伝説」などが残る、山深いが歴史深い場所でもあります。

【地図】
http://www.mapion.co.jp/m/35.149886_137.867139_8/?wgs=1

高根城跡は、水窪町の東南端の久頭合山の山頂、標高420mに位置にあり、南北朝時代に後醍醐天皇の孫伊良(ゆきよし)親王を守るためにこの地の豪族である奥山金吾正定則が応永21年(1414年)に築いたとの伝承が残っています。
ちなみに「奥山金吾正 」の「金吾」は「中国漢代に宮中の警備や天子の警護を務める武官の官職名の唐名で日本では衛門府に相当」します。

現地案内版によれば、応永二十一年、奥山金吾正並びに諸士が伊良親王を守護して、周智郡奥山に仮宮を建てたことが始まりとされる。(中略)

その後奥山氏は16世紀前半の永正から大永年間に(1504年〜28年)頃に駿河守護の今川氏の配下に組み入れ、北遠江の全域を支配下としている。永禄年間(1558年〜70年)後半、今川家が凋落傾向にをたどると、奥山氏内部で今川・徳川・武田への帰属を巡って内紛が勃発、城は落城したと考えられる。

元亀初頭から天正年間にかけて武田氏が遠江侵攻戦を開始、武田信玄・勝頼父子によって大改修され、国境を守る橋頭堡とされたが、武田氏滅亡とともにその使命を終えていると結んでいます。

城跡は規模はそれほど大きなものではないが、コンパクトに纏められ、各所に武田流の築城術を粋を垣間見ることができます。
特に三の曲輪と城外を区切る二重堀切と土塁のセットは圧巻であり、また当時の様子を忠実に伝える復元家屋や門などは一見の価値ありです。


【写真左】
高根城本曲輪遠景、天空の山城と勝手に呼んでいますが、後ろの山々とのコラボレーションが絶景です。一番高い建物の井楼櫓は、形だけを復元するだけではなく、釘を使わずに楔(クサビ)を使い当時の工法で造られているとのことです。

【写真中】
高根城二重堀切を横から土塁を中心に撮影、もう少し後ろから撮影したかったが崖だっため断念しました。

【写真右】
城内の仕切門、大手門の広場と本曲輪中心部を仕切る門です。写真には写っていませんが「大きな蜂」が周囲をブンブンと飛んでいました。刺されはしませんでしたが、まるで外敵をけん制するかのようでした。(笑)

単独表示 高根城本曲輪.jpg 単独表示 高根城二重堀切.jpg 単独表示 高根城仕切門.jpg
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【新たな発見】(大仙山城再訪)   鬼丸 : 2013/06/06(Thu) 19:12 No.139
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先日、城郭関連でお世話になっている八丁堀さんと再々度の大仙山攻城を敢行した。

今回の登城経路は、黒備えさんから頂いた情報により大仙山南西部を起点とする林道を利用して山頂部付近まで前進、そこを後拠として城域内の探索を開始する。

ちなみにこの登城道は軽トラか軽四駆などトルクがあり小回りの効く軍馬が適している。ホイルベースが長く、トルクのない普通車での進入は途中でスタックする可能性が高いことを付記しておきます。

いつもながら行き当たりばったりの私に対して、八丁堀さんの周到な地図と衛星写真を駆使した資料収集、とりわけ卓越した地形観察により、攻撃目標を限定した無駄のない作戦展開となりました。

さわさりながら急峻な大仙山の尾根上に展開する遺構群発見までには熾烈を極め、弦や草に足を取られるのは常で、枯葉という伏兵には「滑る」というおまけ付きでした。

前回記述の曲輪2の北方向に展開する平場とその下にある二段平場の確認と堀切2と堀切1との間にある窪地風の削平地の検討と動線について現地で確認した。

また堀切1に存在する二重堀切のうち片堀切の尾根側での不自然な収束状態に時代的古さが見てとれ、本来二重堀切として普請されたものではなく、もう一方の堀切を普請する際に改修が行われ、そのまま残存させられたものではないだろうか。

八丁堀さんが、地形の事前分析により、金毘羅宮の鳥居前から北側の尾根上に遺構がある可能性を示唆されていたので、この尾根にアタックを敢行する。するとすぐに、平場を確認し一応曲輪遺構として位置付ける。更にそこから尾根を下ると自然地形とも竪堀とも見える場所に出る。

ここから左右に尾根が分岐し、私は右側の尾根、八丁堀さんは左側の尾根を相互に連絡を取りながら前進、右尾根を横方向へトラバースすると眼下に3段の半月状の曲輪遺構を発見、すぐに八丁堀さんをに連絡、到着待って段曲輪ではないかと意見を同じくした。

ここより下部は更に斜度が増し、人の出入りを拒むかのような地形で前進不能状態になるが、これ克服し単独でさらに下方に進むと大岩を介した堀切を発見、半ば滑落気味に下り、堀切を確認すると同時に眼前に土塁遺構と櫓台状の土盛を確認、ここまでの間に確認した削平地とは全く異なる戦国期を思わせる遺構である。

八丁堀さんの到着後に精査を開始、数分後に八丁堀さんが櫓状遺構の基部に石積と考えられる集石の存在と、そこから10m程離れた尾根右部分で井戸跡らしき遺構を発見した。

大仙山頂上部の城郭遺構の鞍部遺構との共通性を感じたが、少々距離があるので八丁堀さんと意見交換の末、単独遺構とし「大仙山北砦」という位置付けをした。


【写真左】
大仙山北砦、土塁状と櫓状遺構です。この土盛りの基部に列をなした石積?と思われる礫群を確認した。

【写真中】
北砦の大岩を利用した切岸と堀切(八丁堀さんの雄姿を後ろから、足元付近が堀切となっている。)

【写真右】
井戸跡と思われる遺構です。この山脚部分には小川が流れており水の確保には不自由さは感じられない。それではこの井戸と思しき遺構はと考えると「中田正光先生著」の「村人の城・戦国大名の城」や「藤木久志先生著」の「城の隠物と戦国誌」の記述が思い起こされる。


たかが山城、されど山城、今回の発見は個人的には「大発見っと思っています。」、専門に研究されている先生方や城郭愛好者がスルーしていた山城、この城に着目された八丁堀さんには深く敬意を表します。
まだまだ、掲載していない画像などがありますが精査の末にアップしたいと考えています。

単独表示 .jpg 単独表示 北砦堀切.jpg 単独表示 北砦井戸跡.jpg
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またまた新発見でしたね!   八丁堀 : 2013/06/06(Thu) 22:06 No.140

鬼丸さん、昨日は大変お疲れさまでした。
また、お土産を頂きましてありがとうございます。
またまた新たな郭や、城を発見出来て有意義な一日でした。
でも、もう少しゆっくり周りを見たかったですね。
少し早く引き上げてしまいましたので、メジャーで郭の大きさを測る事や水の手の反対側の石積みの確認を忘れました。
残念!

水の手は城の規模に比べて二段で立派でしたね!
水の手の後ろの石列があった辺りは小屋掛けの場所と思います。
更に上にも平場状の所が見えましたので、確認をしておけばと後悔しています。
水の手や城は残存状態などから、江戸期位まで維持管理をされていた感じですね。
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Re: 【新たな発見】(大仙山城再訪)   花散里 : 2013/06/06(Thu) 22:16 No.141

八丁堀さん

電脳倶楽部システム担当の裏方、花散里と申します。
以後、よろしくお願いいたします。

鬼丸さんとご一緒に次々と新たな発見をされ、喜ばしい限りです^^
私も、鬼丸さんには数回ご案内いただき、城攻めを経験させていただきましたが、日ごろの運動不足と加齢によってご迷惑ばかりかけているような状況です。
鬼丸さんのご縁によってお近づきになれましたので、他のコンテンツ共々今後ともよろしくお願いいたします。

さて今回、せっかく上記の記事を投稿いただきながら、システムエラーによってご迷惑をお掛けしたことをお詫びいたします。
八丁堀さんが投稿されようとした記事は、ご覧のとおり私が再度代理で投稿させていただきました。
エラーの原因はこれから詳細に調べるつもりですが、まずは代理投稿のお知らせとお詫びまで。
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Re: 【新たな発見】(大仙山城再訪)   黒備え馬賊 : 2013/06/07(Fri) 07:27 No.142

大仙山城再訪お疲れ様でしたm(_ _)m

八丁堀さんから成果報告並びに画像を送ってもらい拝見しました。
井戸も明確に残っており小さいながらも素晴らしい砦だと思います。
今週末都合が付けば、この砦と地籍名「城ヶ下」背後の尾根続きと更に
北西に下っている尾根も探索しようと思います。
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Re: 【新たな発見】(大仙山城再訪)   鬼丸 : 2013/06/07(Fri) 17:54 No.143

八丁堀さん、お疲れさまでした。初めて見る遺構はあまりに興奮してしまい。私もノートにメモるのを忘れていました。

花散里さん、いつもながら後詰して頂きありがとうございます。このお礼は関ヶ原でお返しします。(笑)

黒備えさん、レス有難うございます。「城ケ下」にも土塁と思しき土盛りのようなものを衛星写真で確認しました。連続撮影の航空写真があれば、実体視による事前確認が出来ると思うのですが。週末の攻城成果を期待しております。
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Re: 【新たな発見】(大仙山城再訪)   八丁堀 : 2013/06/08(Sat) 12:51 No.144

花散里さん、初めまして、今後ともよろしくお願い致します。

花散里さんのお噂は、鬼丸さんからお聞きしております。今後
ご一緒に訪城など出来ましたら良いと思っておりますので、その時はお願いします。
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Re: 【新たな発見】(大仙山城再訪)   黒備え馬賊 : 2013/06/09(Sun) 09:05 No.145

昨日、大仙山城に行って来ました。
概略は八丁堀さんからメールが送られたようですので、
省かせて頂きますが、大仙山北砦の新たに発見しました遺構は、
竪堀が二カ所とそれに対する腰郭と石積み、更に井戸施設の二段の郭の
奥に5段〜6段の石積みと堀切に通じる通路と井戸施設は、沢を石積みと盛り土による治水施設である事です(*^。^*)
帯郭先端下に半月の腰郭と三日月状の小テラス、更にその先に
削平の甘い郭が二カ所ありました。
以上の事から規模からして西原小屋に該当すると見て良いと思われます。

以上報告まで
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Re: 【新たな発見】(大仙山城再訪)   鬼丸 : 2013/06/09(Sun) 10:48 No.146

黒備えさん,お疲れさまです。

>竪堀が二カ所とそれに対する腰郭と石積み

大変に興味がありますね。現在、「帝京大学山梨文化財研究所研究報告第5集」の小特集「中世城郭と民衆」を読み込んでいます。

この北砦は軍事的には防御施設、民事的にはアジュール的要素があるように思えてきました。(勝手な妄想ですが。)
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Re: 【新たな発見】(大仙山城再訪)   黒備え馬賊 : 2013/06/09(Sun) 12:28 No.147

昨日行った砦は、規模からして尾根上の城郭部は
狭小で物見台、烽火台レベルですが、谷戸状台地の
三段の治水施設を伴った郭を防御すべき施された竪堀や石積みや削平などから土豪レベルでの築城ではなく南に位置する韮山城主、北条氏規
が深く関与していると思われ、下田街道へ通じる間道監視が主な役割と思われます。
また形式から谷戸式城郭でしょう。

詳しくは一度メールアドレスにメールを下さい。
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【館館(たてやかた)】(静岡県田方郡函南町畑毛)   鬼丸 : 2013/05/29(Wed) 17:21 No.131
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今回は大仙山城に引続き、大仙山の北北西方向にある館館跡(たてやかた)をご紹介します。
ここを最初に攻城したのは一昨年前のことで、大仙山城攻略前の下検分が目的でした。今回2度目の攻城で手応えある成果を得ることが出来ました。


「静岡県の中世城館跡(静岡県教育委員会発行)」によれば、「大仙山城跡の山裾、北に位置し、比高約20mの独立丘状を呈する丘一帯に小字館と呼ばれる所がある。文献には見当らず、現状は畑であるが、遺構は明確ではない。中央部に白山神社が所在するが、この部分付近が中心と考えられる。南に近接して大仙山城が所在しており、西原氏等の館跡とも考えられる。」としています。

また「図説、駿河伊豆の城(郷土出版)」によると、「大仙山城の山裾に位置し、標高60mの独立状丘上一帯を「館」呼びその中央部に白山神社がある。現状は畑地となって遺構は明らかではない。この付近は縄文時代から弥生時代にかけての遺跡で石鏃などが出土している。館館に関する文献資料は少ない。」と結んでいます。

地形図上で大仙山城と館館の関係位置を考察すると、城と館の間には古道らしき舗装道路があり、道の脇には古い石仏が往時を物語る。この道は館館の大手と思われる白山神社の参道の前をとおり、同町平井部落の方向へ通じている。

余談ですが、この平井部落は夏の間に生産される「函南町平井の西瓜」のブランド名のある西瓜で地元はもとより首都圏各地でも人気のある特産物です。

戦国時代の函南町内の支配関係を調べてみると、初代伊勢新九郎盛時以来の小田原北条氏一門とその家臣団の所領となっており、大仙山城のある畑郷は小田原衆の西原善右衛門、桑原村は御一門の北条幻庵(本領は相模の久野)、平井郷は玉縄衆の北条綱成、仁田と肥田は馬廻衆の松田助六郎、肥田の一部は伊豆衆の笠原美作守、間宮村は伊豆衆の秩父次郎左衛門、丹那村と塚本村は川越衆の大道寺弥三郎の所領となっていたことが分かった。

【写真左】
白山神社参道から直にある土塁状遺構、この右手に白山神社のお社が鎮座しています。神社の位置はおそらく主郭部と判断されます。また写真の左下に横堀とも腰曲輪とも思える一定幅を持つ平坦地があります。

【写真中】
写真左の土塁下の平坦地、この平坦地は同じような幅を持って神社の鎮座する土塁を約4分の3程度ぐるりと廻っているので私的には横堀とみたい。
残り4分の1は耕作地になっており、地主の方に迷惑をかけるといけないと思い立入りを止めた。

【写真右】
台地南西部突端付近にある主郭部土塁と別の土塁、この下にも先の平坦部分が続き、更にこの右手から低地部へ九十九折れに下る道がある。おそらく搦め手口だろう。

総合的に判断して白山神社のある台地は、単郭式の中世居館と見て間違いないと思う。

単独表示 土塁A.jpg 単独表示 横堀C.jpg 単独表示 土塁B.jpg
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Re: 【館館(たてやかた)】(静岡県田方郡函南町畑毛)   黒備え馬賊 : 2013/05/29(Wed) 19:22 No.132

実は小生もここは、館跡または単郭の城ではと思っていました。
その根拠は、台地先端部である事と城跡によくある白山神社(城山神社)です。
ここの神社も城山神社が転化し、白山神社になったのではと考えていました。
また、城跡や館跡の近くの多くは古道に面しており、ここも古道が近くを通っていたからです。
Google写真で見ますと畑の所は、腰郭もしくは帯郭ではないでしょうか?
その下に堀跡のような地形が見られます。
尾根続きと思われる北東方向には堀切があったのでは?
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Re: 【館館(たてやかた)】(静岡県田方郡函南町畑毛)   鬼丸 : 2013/05/29(Wed) 20:12 No.133

黒備え馬賊さん、再訪有難うございます。

>尾根続きと思われる北東方向には堀切があったのでは?

有りました。記述はしませんでしたが、かなり高低差のある横堀状の地形が、主郭部の北東から南東方向に確認できました。規模もかなり大きなものですが、藪が酷く写真撮影してもなんだかわからない状態だったので、探索可能な時期に来訪し写真ともども再掲をと考えておりました。
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Re: 【館館(たてやかた)】(静岡県田方郡函南町畑毛)   八丁堀 : 2013/05/30(Thu) 11:26 No.134

鬼丸さん、こんにちは。

メールではお世話になっておりますが、此方では初めてですのでどうぞよろしくお願いします。

27日の西原小屋と白山神社への再訪、お疲れ様です。西原小屋は隣のピークの東下に腰郭状の平場を確認されて
いらっしゃるので、ピーク内に遺構がある可能性がありますね。

黒備えさんも今週末に訪城との事ですが、私も来週に再訪を考えております。梅雨入りしましたので天気次第ですが。

白山神社の写真を見ますと、切岸と腰郭・空堀跡に見えますので、鬼丸さん、黒備えさんのご指摘の通りと思われます。

鬼丸さん、北側の尾根を下った際に、何分程で二ヶ所の平場に着きましたでしょうか?
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Re: 【館館(たてやかた)】(静岡県田方郡函南町畑毛)   鬼丸 : 2013/05/30(Thu) 18:30 No.135

八丁堀さん、いらっしゃいませ。お待ちしていました。

メールでの情報交換本当に有難うございます。お陰様で、城郭愛好家もスルーする「大仙山城」の実態の一部を確認できたことに御礼申し上げます。

>何分程で二ヶ所の平場に着きましたでしょうか?
曲輪2から6〜8分程度で下ることが出来ましたが、帰りは斜度が急なため2倍程度の時間が掛かりました。

>私も来週に再訪を考えております。
御伴しようかな?キビ団子は要らないですけど(笑)

当サイトの別のコンテンツもお楽しみ下さい。結構有益ですよ〜。
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Re: 【館館(たてやかた)】(静岡県田方郡函南町畑毛)   八丁堀 : 2013/05/31(Fri) 10:23 No.136

鬼丸さん、おはようございます。

> 曲輪2から6〜8分程度で下ることが出来ましたが、帰りは斜度が急なため2倍程度の時間が掛かりました。
★情報をありがとうございます。確認したいと思います。後はどの辺りか見られた所は有りますでしょうか?
金毘羅宮の郭から北へ下る尾根筋の先へは行かれましたか?この尾根は城山神社の目の前に
下っていますので、この尾根も気になっています。

> 御伴しようかな?キビ団子は要らないですけど(笑)
★水曜日に予定をしていますが、明日の黒備えさんの報告次第ですが、お休みでしたらご一緒いかがでしょうか?
詳しい事は明日にメールをさせて頂きます。

> 当サイトの別のコンテンツもお楽しみ下さい。結構有益ですよ〜。
★他のコンテンツも専門的でマニアックですね!敷居が高そうです(汗)
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Re: 【館館(たてやかた)】(静岡県田方郡函南町畑毛)   黒備え馬賊 : 2013/06/03(Mon) 17:10 No.137

こんにちは(^_^)/
黒備え馬賊です。

土曜日に大仙山探索に行ってまいりました。
成果報告は当日の帰りに八丁堀さんにお会いし話ましたが、
簡単に報告しますと最高ピーク点標高191mは自然地形でしたが、
西側にある第二ピーク点に遺構を発見しました。
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Re: 【館館(たてやかた)】(静岡県田方郡函南町畑毛)   鬼丸 : 2013/06/04(Tue) 06:07 No.138

黒備え馬賊さん、お疲れ様でした。そして貴重な情報有難うございます。八丁堀さんからメールにて概略を確認しました。

後日、八丁堀さんと確認に向かう予定です!!
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【大仙山城】(ついに発見)   鬼丸 : 2013/05/21(Tue) 18:34 No.128
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「増訂豆州志稿」の後述に「大仙山本城南北5間、東西3間、二丸南北5間、東西8間、同東西8間南北4間、城下から二の丸大手まで7町20間、同じく裏口まで5町20間」とあります。

この記述の数値をメートル法に概略換算してみると以下のようになります。「大仙山本城は南北9m、東西5.4m、二丸南北9m、東西14.4m、同東西14.4m南北7.2mとあり城下から二の丸大手まで829m、同じく裏口まで561m」ということになります。

「図説、駿河伊豆の城(郷土出版)」に、「昭和40年代までは土塁や空堀、曲輪跡などが確認できた。」という記述を信じて、地形の分析と本人の思い込みを足して2で割った結果、この山には絶対に別の城郭遺構があると勝手に思い込み、山中をかなりの時間彷徨った結果、「つ・つ・ついに見つけちゃいました。(笑)」

最初に、曲輪1〜bP堀切〜曲輪2(腰曲輪複数を含む。)〜bQ堀切(二重堀切)〜曲輪3(長土塁を確認)この曲輪3の長土塁はかなり長く伸びていたが、単独行であり地図もコンパスも携行していないので次回に期することにした。

おそらく戦国期の遺構と思われ、西原源太宛の北条氏忠感状にある「西原小屋」に該当する遺構ではなかろうか。

【写真左】
bP堀切、この堀切の左側に削平の甘い曲輪があり、右側はかなり手の入った曲輪と腰曲輪が数段確認できた。

【写真中】
bQ堀切(二重堀切)、この堀切の左側に片堀切1条が確認できた。堀と堀の間隔が4m〜5mほどあるので二重堀切とした。この右手にも更に曲輪がある。堀切左側中央部には虎口らしき開口部も確認できた。

【写真右】
bQ堀切右側の曲輪3にある長土塁遺構、この先を探索したが藪の中で歩数を数え忘れてしまったが、30m以上は続いており途中で直角に近い角度で左に折れていた。これ以上前進すると遭難の危うき目に合うかもと判断して帰路につくことにした。


おわり

単独表示 bP堀切.jpg 単独表示 bQ堀切.jpg 単独表示 3曲輪土塁.jpg
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Re: 【大仙山城】(ついに発見)   黒備え馬賊 : 2013/05/22(Wed) 19:07 No.129

はじめまして。

黒備え馬賊と申します。

大仙山城の遺構発見おめでとうございます。
小生は、「土の古城探訪」サイト管理人の八丁堀さんとは10年来の城友でして昨夜、本人よりメールを頂きこちらのサイトを拝見させて頂きました。
小生も東側の尾根続きの二カ所のピークが、大仙山城ではと思い今年の秋過ぎに計画をしておりました。
その根拠の一つとして、南麓の地名が「北奈古谷」「奈古谷」でしたので、根古屋地名が転化したものだろうと思った為です。

来週末に行ってみます。
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Re: 【大仙山城】(ついに発見)   鬼丸 : 2013/05/23(Thu) 06:41 No.130

黒備え馬賊さん

いらっしゃいませ。このページ担当の鬼丸と申します。

今回発見の直接要因は八丁堀さんの記事を参照した部分が大半を占めております。「北奈古谷」「奈古谷」ですか、良いところに着目されましたね。そこまでは読み切れなかったです。大仙山城の本当の主要部はご指摘のとおり「二カ所のピーク」にあると思われ、今回発見の遺構はその一部であると認識しています。
来週末に攻城予定とのこと、十分お気を付けて下さい。そして更なる新発見を期待します。

今後も情報・意見交換など宜しくお願いします。
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【大仙山城】(静岡県田方郡函南町畑毛)   鬼丸 : 2013/05/16(Thu) 17:16 No.126
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今回は、ある方のサイト情報で静岡県の田方郡函南町にある大仙山城を攻城した。この函南町畑毛は温泉地としても有名で「弱アルカリ性単純泉、無色無臭」で「高血圧、神経痛、リウマチ、消化器機能障害、運動機器障害、美肌作用」に効能があるとされています。温泉宿の数はあまり多くはないが「隠れ家的温泉地」といっても過言ではないでしょう。

「増訂豆州志稿」と言われる江戸時代の地歴書よれば「畠山重忠の子畠山六郎重保の城跡と伝えられている。」との記載があり、今年3月に訪れた発端丈山にある三津城と関係する南北朝期の城跡だろうと思い現地踏査を試みた。

現地踏査の前に他の文献資料により情報収集した結果、「図説、駿河伊豆の城(郷土出版)」によれば「西原文書」というのがあり、それによると北条氏忠が西原源太夫に宛てた感状(戦功を称えた手紙)に「西原小屋」の記述が見え、また「小田原衆所領役帳」に「西原善右衛門、百貫文豆州畠郷」とあり、戦国期に西原氏という土豪が大仙山城を築城したものだろうと示唆している。さらに昭和40年代までは土塁や空堀、曲輪跡などが確認できたという記述が付け加えられていた。

また、大仙山の山麓には館館跡(たてやかたあと)と呼ばれる居館跡があり、土塁や曲輪跡などの遺構を良く残している。おそらくこの居館が平時の居住空間であり、大仙山が詰めの城だったのではないだろうか。


【写真左】(金毘羅宮曲輪:仮称)
国土地理院の地形図に大仙山の2等三角点の所在する場所で、金毘羅宮のお社が鎮座している。御椀を伏せた小山でおそらく物見台的な役割を果たしたものと思われる。土塁などの遺構はなく頂上部分は綺麗に削平されていた。南北朝期というよりは戦国期の遺構のように思える。写真中央の白い石が2等三角点の標石です。

【写真中】(金毘羅宮前の堀切?)
金毘羅宮曲輪の登り口の鳥居前の窪み、直観的に堀切ではないかと思う。ここまで登ってきた参道を振り返ると堀底道を歩いて来たような感じもする。おそらく参道は堀底を利用した大手道だったのかもしれない。写真中央部分は土橋であろうか。

【写真右】(本曲輪跡?)
金毘羅宮曲輪を東へ山稜伝いに進むと石碑のある曲輪に到着する。石碑は土塁上に置かれており、この土塁は高さ1m強で古い時代のように感じる。この時点で戦国期と思われる明確な遺構には出会っていない。

つづく

単独表示 写真左.jpg 単独表示 写真中.jpg 単独表示 写真右.jpg
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Re: 【大仙山城】(静岡県田方郡函南町畑毛)   鬼丸 : 2013/05/18(Sat) 21:01 No.127

>ある方のサイト情報について、該当の管理者様からリンクに関する快い返信がありましたのでUPロードしたいと思います。

サイト名「土の古城探訪」、運営者「八丁堀」さん。

私の攻城エリアと重複しているので、国土地理院の地形図と併用して、この方のサイトに掲載されている鳥瞰図を頼りに城攻めをしています。大変重宝させて頂いております。

【参考サイト】
http://www.geocities.jp/shyonan_aki64/

国土地理院の地図を読むには、地図の記号を読めなければいけません。地図に記載されている記号には一定ルールがあり、これを地形図、図式規定と呼ばれています。

登山やトレッキングを趣味にしているサークルの指導者の中には、地図くらい読めなければ登山など辞めてしまえ。などと豪語する方がいますが、そういう人に限って図式規定を質問すると、全くチンプンカンプンな答えが返ってきます。(笑)
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【守山砦】(守山周辺の史跡)   鬼丸 : 2013/05/11(Sat) 17:53 No.125
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守山砦周辺は5つの遺跡群から構成されていることは前に説明したとおりであります。そこで実際の現地の様子を画像を交えて、ご説明して行こうと思います。

【地図】
http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse2/index.html


【写真左】(北条政子産湯の井戸)
守山の北東鹿の民家の前に現存し、守山北西麓にある北条氏邸跡より少し距離のある場所に位置しています。住宅地の一角にあるので少々見付け難いかも知れませんが、住宅地の入口に「政子産湯の井戸」の石碑が建っているのでそれを目標とするとよいでしょう。

井戸は石造りでそう古いものではなさそうです。おそらく前回記述した「円成寺石」を加工して作られた江戸時代以降のものではないかと思います。いつの時代でしょうか近隣の人々の安産祈念所として信仰が行われていたようです。

【写真中】(伝堀越御所跡)
北条政子産湯の井戸から来た道を戻り、井戸跡の石碑の反対側が「伝堀越御所跡」である。公園整備がされているわけでもなく、ただの広い空地と言った感じ。国指定史跡なので開発行為は禁じられている。史跡整備には莫大な資金が必要なので予算が獲得まで現状維持というところでしょうか。

【写真左】(願成就院)
北条時政が源頼朝の奥州討伐の戦勝を祈願して1189年(文治5年)に建立された。北条氏の氏寺として北条時政、義時、泰時の三代にわたり次々と伽藍が建築され、世界遺産である奥州平泉にある毛越寺を模した構成であると言われていますが、延徳3年(1491年)に北条早雲による堀越御所急襲時に願成就院はほぼ全焼、その後に再建された堂宇も天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐の際に再び灰燼に帰したとの記録が残る。

現在ある本堂などは、江戸時代に北条氏貞(後北条氏の末裔)によって再興され、棟札から寛政元年(1789年)の建立が確認できる。今年3月に願成就院の運慶作と伝わる仏像5体、阿弥陀(あみだ)如来座像、不動明王と脇侍の二童子(矜羯羅童子と制多迦童子)からなる立像、毘沙門天立像の5体が「国の文化審議会」が文部科学相に答申したとの記事があり、富士山世界文化遺産登録と併せて嬉しい出来事である。

単独表示 政子の産湯井戸.jpg 単独表示 伝堀越御所.jpg 単独表示 願成就院.jpg
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