お名前 Eメール タイトル メッセージ URLの自動リンク無効 > 【地図】 > http://www.mapion.co.jp/m/35.049898_138.953694_9/?wgs=1 > > 和田島砦に続いて、今回は土手和田砦を紹介します。一見独立丘陵のように感じますが、やはりここも天ヶ岳の支脈の一つで、上部の尾根筋で和田島砦とケモノ道にある大堀切を隔てて連絡しています。 > > 砦の南北にそれぞれ小さな神社があるので、南側の神社(水神社の参道)方向から攻城するのが良いでしょう。神社の参道には金属性の手すりが神社まで付いていますが、神社より先には手すりはなく、草の中を分け入る感じで進みます。すると直に段状の小郭が左手見え、右側には外枡形状の方形の小さい平場があり虎口を形成しているように見える。更にその先左手に櫓台状の高まりと正面奥に大きな土塁のある郭を確認することができます。 > > この大きな土塁のある郭が本郭とされているようです。本郭の頂部は削平され、その下部は2〜3の腰郭を伴っているようです。本郭を含めてそれより北側は竹や雑草でブッシュが酷く郭内部の状態がほとんど分からない。春から秋の間の表面観察は無理でしょう。 > > この櫓台状の高まりと本郭との間にL字型をした畝堀を見ることができます。この畝堀は和田島砦のケモノ道にあった堀と同様、岩盤を掘下げて畝を残したものであり、堀の末端は本郭から続く竪堀と合流し谷底へと落ちています。 > > 畝堀のある面より更に下段に天ヶ岳方向に削平された平場があり、攻城した際には下草や竹が刈り取られていて容易に観察することが出来た。 > > この下段平場はかなり綺麗に削平されて、西南部では土塁状の高まりがあり東南部には、もう一段低い位置に腰郭と思われる小さな平場が西南部の土塁状のところまで伸びる。 > > また両端は切岸状の自然崖となり、天ヶ岳山頂付近から続く谷に繋がっている。この下段平場は30〜40名位の駐屯が容易かと思われ、武者溜まりあるいは排水が容易な地形なので野戦用の炊事場だったかも知れない。 > > 整地の状態を周囲の地形と考え合わすと後世の改変はなく、また土手和田砦の郭の中では一番低い位置にあり秘匿性が高く、また天ヶ岳へ連絡する城内道があることから興味深い郭であり、今後の発掘調査などの学術調査に期待したい。 > > 竹や笹、雑草が伸びきらなければ今月一杯までなら、この下段平場を見学できると思います。夏季は蛇さんや蜂さんの攻撃を受けるなど、かなりのリスクを負うことになりますので攻城には十分な注意が必要です。 > > この下段平場からは前述した、天ヶ岳に通じる城内道があり、登り口には3〜4段の段曲輪が配置され、その背後には尾根を遮断する別の畝掘を見ることが出来る。この堀も圧巻で、天ヶ岳側の堀壁は急峻で自然の岩が露出しており、山城ならではの荒々しさを感じさせます。 > > 土手和田砦は和田島砦に比べてかなり技巧的な縄張りで完成度が高く感じられ、おそらく天正十八年(1590年)の小田原の役に際して畝掘や各郭の補修・改修が大々的に行われたのでしょう。 > > > 【写真左】(土手和田砦の本郭と畝堀) > 右の木の茂る台が本郭で左端が櫓台、中央に緑の帯状のものが畝堀の「うね」です。堀はこの位置から右手にクランクして竪堀へと連なる。 > > 【写真中】(土手和田畝堀) > クランクした畝堀を竪堀方向から近写したもの。石積みのように見えるが、岩盤を掘りこんだもの。左右の壁面にも石などが露出していた。 > > 【写真右】(土手和田下段平場) > 下段広場を上段の畝堀位置から天ヶ岳方向を見る。画面の奥に見えるのは段状遺構で小さな削平地が3〜4段あり、この奥には別の畝堀がある。そろそろ竹が生え出しているので、後1ケ月程で元のジャングル状態に戻ることでしょう。 URL 添付File (返信時はファイルを添付出来ません) 暗証キー (英数字で8文字以内) 文字色 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 記事移動 管理人の設定 移動しない トップへ移動 クッキー クッキー情報を記録しない プレビュー 確認する 投稿後このスレッドに戻る
▼ 土手和田砦(韮山城砦群) - 鬼丸 2012/06/11(Mon) 21:53 No.76 <<表示中      ├ Re: 土手和田砦(韮山城砦群) - 花散里 2012/06/12(Tue) 21:39 No.77      └ Re: 土手和田砦(韮山城砦群) - 鬼丸 2012/06/13(Wed) 21:15 No.78