中世城郭紀行
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Re: 小島陣屋(静岡県静岡市清水区)   鬼丸 : 2012/06/22(Fri) 21:56 No.83
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お城を構成する基本的な要素に天守閣、石垣、堀などがありますが、天守閣が築かれ石垣が多様されるようになったのは戦国末期からで織田信長の安土城を代表とします。

日本刀で言えば「新古境」と言われる時期にあたり土木技術の発達と相まって、西日本の織田・豊臣方の武将の多くが権勢を誇るため、支配地域に大規模な石垣建造物を建築した。これをお城の世界では「織豊系城郭」と呼んでいます。

石垣にも種類があり、石材の加工状態から3種類、積み方から4種類に大別できます。

石材の加工状態で、全く加工しないか一部を加工して造られものを「野面(のずら)積み」、石材の接合面をお互いに加工したものを「打ち込みハギ」、石材全体を綺麗に加工したものを「切り込みハギ」と分類します。

積み方から横方向の目地が綺麗に揃う「布積み」、横目地が通らずバラバラなものを「乱積み」といいます。その他に江戸中期以降から見られる「谷積み」や城郭にはあまり用いられない「亀甲積み」などがあります。

織豊系城郭の多くは圧倒的に「打ち込みハギ」が多く、それ以前の中世城郭で石垣のあるものは「野面積み」が主流であり、関ヶ原の合戦前後からは「切り込みハギ」が多用されます。

しかしながら、加工状態や積み方から時代を特定するのは少し無理があります。土地によっては石垣に適する石材がなく海や河原の丸い石を石垣にした城郭もあり、また藩(築城主)の経済状態も大きな要因となります。5月に紹介した浜松城の石垣は、幕末に修復されたもので野趣溢れる「野面積み」になっています。

さてご質問の石垣ですが、写真中は「野面積みの乱積み」に見え古色を窺わせます。写真右は「切り込みハギで谷積み」のように見えます。また積み方4種の変形で矢筈積みというのがあり、これにも見えます。

ご質問の答えですが、両写真とも同じ時期に普請されたものです。1万石の小藩では大普請だったのでしょう。手を抜くところは抜いて、藩主の御殿周りは堅固な石垣を採用しています。

後に小島藩では、たびたび百姓一揆が起り、藩の経済が困窮していたことが歴史資料から分かります。
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小島陣屋(静岡県静岡市清水区) - 鬼丸 2012/06/16(Sat) 22:12 No.79
     ├ Re: 小島陣屋(静岡県静岡市清水区) - 花散里 2012/06/21(Thu) 23:26 No.81
     ├ Re: 小島陣屋(静岡県静岡市清水区) - 鬼丸 2012/06/22(Fri) 21:56 No.83  <<表示中
     └ Re: 小島陣屋(静岡県静岡市清水区) - 花散里 2012/06/24(Sun) 22:43 No.84

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