中世城郭紀行
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御坂城(その2)   鬼丸 : 2012/08/19(Sun) 22:08 No.91
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御坂城は、日本でも一位若しくは2位を争うくらいの高所に位置する城址あることは前回説明させて頂きましが、更に面白い特徴を持っています。

御坂山の稜線上に沿って縦長に縄張りされていますが主要部(主郭、主曲輪、本丸、本曲輪ともいう。)が城内の一番低いところ(鞍部)に占地されていることです。主郭を中心に左右の尾根上に北郭(御坂山方向)、南郭(黒岳方向)が構えられ、北郭と主郭との比高は50m弱ほどあります。
等高線を頼りに断面図を作成すると、まるで鷹が獲物を狙うため翼を広げているような感じです。

主郭のある主要部には旧鎌倉街道(鎌倉往還ともいう。)が横断しており甲斐と鎌倉を結ぶ官道として古くから使われていた。
このように街道を城内に取込む手法は北条氏の築城術の特徴でもあり、静岡県三島市の山中城や同県小山町の足柄城にも同様であることは有名です。

主郭、北郭、南郭にそれぞれに土や岩石を多用した堅固な土塁に技巧的な虎口を有し、郭周辺を横堀などの防御施設を附帯させ、特に横堀は長く長大であることが特筆されます。またこの横堀は、部分的に竪堀と連絡するものや二重堀なるところも見られ、見所豊富な城郭であります。

この長大な横堀は戦時には防御施設として、平時には各郭間の連絡する動線として機能したのではないかと想像できます。
実際に、北郭から主郭方向へと南郭から主郭方向へ堀底を移動してみたが、稜線の土塁上を移動するより容易であったように感じました。
ある程度埋まった状態の堀なので、これが北条氏特有の畝堀や障子堀だったらそうはいかないと思いますが。

稜線上に造られた長細い城郭であるため、尾根伝いの攻撃にはある程度縦深を利用しての防御が可能であるが、山裾からジワリジワリ攻める仕寄り攻撃よって一点突破されると、そこから堰を切った濁流のように攻城兵が押寄せ、城内を蹂躙されかねないでしょう。


【写真左】
稜線を登山宜しく歩いた末、突如現れた城郭遺構(北郭の土塁と堀)に疲れも吹き飛ぶ。

【写真中】
主要部を横切る旧鎌倉街道、笛吹市側の虎口から城内を望む。奥の建物は無人の茶屋跡

【写真右】
南郭の虎口遺構、この奥の左側を降りると長大横堀が主郭部方向へ続く。

単独表示 北郭.jpg 単独表示 主要部.jpg 単独表示 南郭.jpg
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