【番外編】(静岡県磐田市】
鬼丸 : 2012/05/04(Fri) 19:18
No.58
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画像投稿掲示板で「藤の花」の話題で盛り上がっていますので私も「藤」の話題をひとつ。 GW初日の4月28日に静岡県磐田市にある見附端城と一言坂古戦場を訪ねたついでに訪れた、同市池田にある行興寺(豊田熊野記念公園)にある推定樹齢800年、国指定天然記念物「熊野の長藤」ををご紹介します。
ここ行興寺には謡曲「熊野(ゆや)」で有名な熊野御前(ゆやごぜん)の墓があり、国と県指定の天然記念物のフジが合わせて6本あります。
御前が植えたとされるフジは樹齢800年を超えて老木の貫禄を感じさせます。フジの寿命は長く、老いても1.5メートルにも達する紫の花房は圧巻です。まさに名に恥じぬ見事な装いだと感銘を受けました。今月6日まで熊野記念公園及びその周辺で色々なイベントが開催されるそうです。
「熊野(ゆや)」の長藤の由来は以下のとおりです。
平安の頃、池田の宿に、花のように美しく優しい熊野という娘がおりました。見付の国府に赴任していた平宗盛に見初められた熊野は、やがて都へ上って行きました。 宗盛と幸せな日々を送っていた熊野のもとに、ある日、母の病の報せが届きます。池田へ帰りたいという熊野の願いを、しかし宗盛は愛するあまり放しがたく、聞き入れてくれません。 春、桜見物の席で、熊野は、「いかにせん、都の春も惜しけれど、なれしあずまの花やちるらん」(都も離れがたいが、故郷で命を散らそうとしている母が心配です)と詠み、その心に打たれた宗盛はついに別れを決心するのでした。 母娘は、再会を喜びましたが、母の命は長くありませんでした。まもなく愛する宗盛の戦死と平家滅亡を聞いた熊野は、尼となり静かに生涯を終えました。 熊野が祈りを捧げた庵のあとの行興寺の庭には今も母のために熊野が植えた藤の花が、毎年長い花房をつけています。
(豊田町発行「熊野御前」より)
【アクセス及び詳細はこちらから】
http://www.sci-iwata.or.jp/kanko/nagafuji.html
【写真左】 行興寺に残る樹齢約800年の天然記念物の藤の古木、貫禄を感じますね。
【写真中】 藤の紫の花房、あたり一面に藤の良い香りが満ち溢れていました。
【写真右】 熊野御前と母君の墓、余り良く撮影出来ませんでした。
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