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皆々様今晩は。大分ご無沙汰を致しております。
先日刀友が北海道より遊びに来まして、余り縁起のいい話ではないのですが史跡巡りをとの事で、鈴ヶ森と板橋の刑場跡を周って来ました。
先入観かもしれませんがどうも冷たいような寂しいような嫌な感じの場所です。 板橋はJRの駅前ですが、以前修学旅行の女子中学生に道を聞かれた事があります。 駅前ですから教える程のことはないのですが。NHKの大河ドラマでは小川があってそこで近藤さんが斬られていましたが、小川は多分今も昔もないかと思います(笑)。
そういえば日本政府としての最後の斬首刑で山田浅右衛門が用いたのは、泰龍斎宗寛だったそうですね。親交があったという話は伝わっています。
つまらない話ですが少し宗寛について述べますので、興味のある方はご覧下さい。
先ず姿が悪いとよく言われますが、反りの浅い上に中切先だからだと思います。 寸詰まりのような。鍛えはよく木目と書いてありますが小板目に地沸が全面に付きます。 それに虎徹の様に元に大肌が入る物が多いです。 映りは隷書になってからです。 作風は諸刃の末備前のような短刀から普通の短刀、袋槍から長巻、脇差、衛府太刀用の直刀まで幅広いです。 映りは基本的に横目映りと言う焼頭から鎬に真っ直ぐ立つ映りですが、写し物には乱れ映りもあります。大宮そっくりです。 刃文は丁子と互の目以外は直刃位です。 彫は「同作」と入れる場合が多いです。 宗次の小竜景光写しの彫が宗寛なので有名になりましたが、真の彫が多い気がします。
なお、銘に「一」の字を入れることもあります。 これは短刀が殆どで長い物は経眼しておりません。 弟子は息子の寛次、甥の寛重、それに宗貞等々います。 親族が「寛」で、本当の弟子は「宗」だったんでしょう。 寛次は洋鋏やバリカンを廃刀令後に作り、現在は山形の方で御子孫が「宗寛の鋏」として作っています。三千円弱から買えます。 宗寛は意外な事に古河藩の勤皇系の家老に雇われていて、廃刀令後は下屋敷に住み、藩主の飲み友達だったそうです。 最後は飲みすぎによる胃癌で、下屋敷近くの現文京区染井霊園内の勝林寺に埋葬されています。 「阿武隈川家」とあります。本名は大野平蔵なんですがねぇ。 ちなみに私も飲みすぎによる肝臓障害です。
伊藤三平様の統計に拠っても、相当数が残っているようですが、余り売品には出会いません。
ある刀剣商さんが言うには、「写真写りがよいので、目録の表紙にするのにいい。」とのことです。 一応刀で250万円以上なら大丈夫と思いますが、偽物も「刀の偽銘(光芸出版)」とかに出ているので油断はできません。
ネットで一軒でていました。刀と短刀の大小です。 長運斎綱俊と同ランク位なので、浪人とかの持てる刀ではなかった(長運斎の打ち下ろし脇差で自筆の納品書が付いているのが残っているそうですが、17両との事でした。宗寛もその位はしたでしょう。)はずですからこのような大小になったのでしょう。値段から見ると安いと思います。
但し三点問題があります。 一つは師の宗次が最近大分安いので、宗寛も思った以上に下がっているのか。 二つ目は大が少し刃文が大雑把。 三つ目はやはり傷と真贋でしょう。 こればかりは現物をみないとおっかなくて何とも言えません。
一箇所見所があるんですよ、宗寛は中心に。 手癖ですね、これは。此処を触れば上はどうでもいい位です。 長巻の長大な中心にも上から下まで出ています。
先月少々入院を致しまして、来月も入らねばならないようですので、親と弟が蔵刀の処分の話なぞをしているので(笑)、手元にあるうちに興味のある方にお伝えしようと思い、全く以って駄文を投稿致しました。 お許し下さい。現在宗寛は5振りと弟子が1振りあります。
お気を悪くされましたらお詫びいたします。 また宜しく御願い致します。 怠龍斎 |
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