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ICHGAMI SHAMUSHO+市神社務所+
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郵便と拳銃   野崎 準 : 2022/03/30(Wed) 16:02 No.713
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8  明治時代、警察官もサーベルと六尺棒しか携帯していなかったとき、郵便屋さんはピストルで武装していた、と聞いた事があります。
 折原繁「堺県楠葉村郵便行李強盗事件の周辺」(銃砲史学会の2022年研究発表要旨)にその経緯が報告されていました。

 前島密らにより江戸時代の飛脚制度が近代郵便制度に変わった明治初期、郵便運搬用の行李の現金書留を狙った郵便強盗が頻発。明治六年に堺県楠葉村(現在の枚方市)で政府発行予定の紙幣見本が盗まれたのが最大の契機とのことでした。

 要旨には「郵便物保護銃」として6連発のレボルバーピストルが掲載されています。威力はあったようで、郵便強盗との銃撃戦などの記録はないようです。
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『千字文』の刀剣   野崎 準 : 2021/12/30(Thu) 20:51 No.709
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8 『千字文』の刀剣記事

古代中国の基本漢字1,000字を四字一句の250句にまとめた『千字文』に刀剣の記事がありました。

「剣号巨闕 珠称夜光」

岩波文庫の解説には
「剣は巨闕、珠は夜光と呼ばれたものが名高い」とあり、『越絶書』、『呉越春秋』などに趙王の干将莫耶と並ぶ愛剣の一つとあります。

中国文人の理想の剣なのでしょう。
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Re: 『千字文』の刀剣   真改 : 2021/12/31(Fri) 08:34 No.710
1 先生、今年一年大変お世話になりました。

来年もどうぞよろしくお願い致します。
良いお年をお迎えくださいませ。
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[→710] Re: 『千字文』の刀剣   野崎 準 : 2021/12/31(Fri) 09:29 No.711
8 9月にパソコンがこわれ、年齢的にネットも引退しようかと考えましたが、気が向いた時に投稿することにしました。

気の向くままの随想、来年もよろしくお願いいたします。
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Re: 『千字文』の刀剣   田舎侍 : 2022/01/27(Thu) 19:20 No.712
1 中国の名剣・・・興味がわき調べてみると伝説と思われてのが1965年、{干将莫耶}その1本であるとされる銅剣が湖北省江陵県望山1号墓より出土し、中国当局は本物と見て国宝扱いになっています。という記事を見付けました。
刀身に金で?で綺麗な模様が全面に彫ってある物でした。

素晴らしい剣ですが少し美的感覚は違うのかなという感想ですね。

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祇園山鉾の軍船   野崎 準 : 2021/08/25(Wed) 16:42 No.708
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8 今年令和三年も京都の祇園山鉾巡行は取りやめ。一部の山鉾が路上展示されただけでした。

鉾の中に軍船をかたどった「船鉾」があり、神功皇后、武内宿祢、安曇磯良などの人形を飾ります。昔は後祭にも「大船鉾」があったのが、蛤門の変で焼失したのですが、最近復元されました。
 宵山の時船鉾の内部を拝見したことがありますが、船首は「戸立作り」、床は和船の様、屋形なども中世の軍船をしのばせるものでした。

 復活がたのしみです。
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古墳時代の鉄加工遺跡   野ア 準 : 2021/07/07(Wed) 09:42 No.707
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8  京都国立博物館の常設展で先月ミニ特集「四国の弥生文化」があり、徳島県阿南市水井町若杉山遺跡の「朱」製造遺跡の遺物と、生産遺跡関連で大阪府柏原市の「古墳時代最大の鉄加工遺跡・大県(おおがた)遺跡」の出土品展示がありました。
 阿南市は石臼と石杵、水銀朱の鉱石辰砂、柏原市は大小それぞれ二種の椀形鉄滓と羽口の多数の展示でした。
小県遺跡は製鉄でなく大鍛冶・小鍛冶の遺跡で、6世紀。大和と河内の境にある重要な生産遺跡との事です。「軟質土器」という、土師器とは異なる渡来人を推測させる遺物もありました。
製鉄炉から運ばれてきた粗鉄を大鍛冶で精錬し小鍛冶で製品に加工、原料の鉄は朝鮮半島を含めて推定している様でした。

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池田屋事件の夜   野ア 準 : 2021/06/17(Thu) 09:12 No.706
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11  元治元年六月五日(1864年7月8日)は池田屋事件のあった日です。  前年八月十八日の政変で勢力を失った京都の尊皇攘夷派の集会を新撰組が襲い、貴重な人材を失い明治維新が5年遅れたという悲劇でした。

 新撰組は局長近藤勇、沖田総司、永倉新八ら5人で斬り込み、互角の斬り合いの中に土方歳三、斎藤一らの別働隊がかけつけ形成逆転、勤王方は自刃・斬死など死者9人、捕縛4人と言われます。

 興味深いのは多人数による屋内の戦闘だったのに刀剣が武器で銃火器が使われた記録がないことです。ある意味で最後のサムライ同士の戦いだったのかも知れません。

 所で旧暦六月といえば京都の町衆には祇園会の月。江戸時代の京都の歳時記の六月は祇園会関係の行事で一杯です。それで映画やテレビドラマでは祇園山鉾巡行の宵山、駒形提灯と祇園囃子で賑わう中を行く新撰組の場面を出すことがありますが、宵山が賑わうのは明治以後、まして5日では会所から祇園囃子の練習が聞こえる程度だったでしょう。

 そう言えばコロナで祇園祭も規模縮小。山鉾巡行と宵山の賑わいが戻るのはいつでしょうか?
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裏切りの六月   野ア 準 : 2021/05/19(Wed) 10:19 No.704
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11  天正十年(1582)6月2日は本能寺の変のあった時です。現在の本能寺は京都市寺町、新京極の近くで昔劇場街、今は修学旅行生の買い物街ですが、本能寺の変があったのはこの西、現在の中京区小川通り蛸薬師元本能寺付近の旧地でした。
 日蓮宗本能寺はもと本応寺と言い応永22年(1415)創建、火災と移転を経て天文法華の乱以後この地に再建されていました。
 旧地は150×300mに大伽藍が並び立って居たようです。今は西洞院通三条の近く、「此付近本能寺跡」の石碑が街角にあり、その横の旧本能小学校、現在は本能特別養護老人ホーム付近が伽藍の中心地だったようで、ホームの西側に最近の記念碑と説明板があります。工事に伴う発掘で堀や火災の跡、焼け瓦などの出土がありました。
乱の直後に信長と交友のあった阿弥陀寺の清玉上人が火災伽藍の遺骸を集めて荼毘にし、その遺骨を阿弥陀寺に埋葬、「信長公の遺骨もあるはず」との秀吉の引き渡し命令を頑として拒んだと言う伝説もあります。
 今の本能寺には宝物館があり、関連資料には「伝信長公佩刀・三条小鍛冶作太刀」など刀剣甲冑の展示もありました。

 

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[→704] Re: 裏切りの六月   田舎侍 : 2021/06/08(Tue) 18:44 No.705
1 先日もNHK?で本能寺の変の謎 放送していましたね。 大きなお堂の天井に熱せられた煙が充満し爆発状態になったのではと火災鑑定の専門家が仰っておられました。
フラッシュオーバーもしくはバックドラフトが発生し、明智側も織田側も予想外の大爆発が起きてしまったのかもしれませんね・・・だとすると信長さんも尚更さぞ無念? 
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縦に一刀両断   野ア 準 : 2021/04/25(Sun) 10:14 No.703
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11  「敵を一刀両断」は名剣の切れ味としてよく引用されますが、騎馬の甲冑武者を鎧もろとも縦に二つ切りにしたという伝えもあります。

 秋田藩主佐竹家伝来の名刀に「八文字長義」があり
『同家腰物帳に二十代義重公。騎馬武者を真向より打割二分して左右に落る。其形八の字に似たるを以て八文字と号せり(鶴堂「日本美術刀剣名物誌」・『刀剣と歴史』復刊21号・昭和32年)。
 騎馬の鎧武者を兜から鞍の山形まで切断、縦切りにしたそうです。
 この刀は佐竹家を出て諸方を流転、現在は台湾の収集家の所蔵の由。

 作者の長義は正宗十哲の一人で備前長船の刀匠。他にも大久保忠世が三人の賊に襲われた時、一振りで全員の両足を切り落としたと言う「六股長義」の作者でもあります。
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滝沢馬琴の鬼神論と刀剣   野ア 準 : 2021/03/23(Tue) 22:14 No.702
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10  『南総里見八犬伝』の作者曲亭(滝沢)馬琴(1767-1848)は博識多才で読本の他にも多くの著作がありますが、文化八年(1811)に本名の滝沢解の名で発表した随筆『燕石雑志』に「鬼神余論」として、中国の「鬼神」と日本の「おに」の違いについて解説しています。

『鬼滅の刃』ヒットの時中国古典研究の方々が「鬼を滅ぼす、とは日本だけでしか通用しない言い方。国際化の時代にアジア諸国から誤解されないか」と危惧していましたが、儒学の盛んだった江戸時代に既に注意されていたようです。その中に、

『昔は妖賊を鬼とも変化とも言へるなるべし。世俗これを誠の鬼なりと言ふはたがへり。物の醜悪強大なるものをすべて鬼といふ。これ本邦の故実か。草花に鬼百合、鬼薊あり。酒、煙草、唐辛子に鬼殺しの名あり。馬に鬼鹿毛あり。剣に鬼切、鬼丸あり。軍書に鬼神と言はれたる某を討ち取りぬと・・・誠の鬼にあらじ。鬼百合鬼薊に言ふ鬼の如し。後世付会の説をなすのみ』。

 鬼切・鬼丸まで俎上にあげられていました。中国の「鬼」は死者の彷徨する魂で、鬼すべてが悪妖ではない、なのですが。
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黒川道祐の刀剣談   野ア 準 : 2021/02/23(Tue) 22:31 No.701
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8  江戸時代初期の京都の儒学者黒川道祐の随筆『遠碧軒記』(延宝三年1675ごろ、出版は宝暦六年1758)に当時の刀剣の噂が出ています。要約してみます。

○ 宮中には天国作の壺切の御太刀がある。いつの頃か婚礼の儀式で近衛殿に貸し出されそのままになっていたが主上御病の時召し返された。
○ 日本の刀鍛冶の始めはこの天国でこれ以前の刀鍛冶はいない。大同年間の人である。
○ それ以前のものは剣の姿であったか。
○ 半井家に和気清麻呂が宇佐八幡より拝領という奇妙な刀があり、本阿弥光甫によると唐の剣だという。
○公方昌山には「二つ銘」、「粟田口国綱の鬼丸」、「大傳太光世」の三宝剣があり、豊臣秀吉に献上させられた。いま二つ銘は愛宕神社、鬼丸は加賀前田家にある。大傳太は本阿弥より旧主に返された。
○ 小鍛冶は一条院の時代である。
○ 東福門院ご葬儀に用いた雲生の太刀は後に泉涌寺より返却された。

 この他神足、雲次などの名も見えますが、実見したのではなく巷間の噂のようです。江戸時代初期の文人の刀剣への関心と知識はうかがえます。
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刀と炭   野ア 準 : 2021/01/11(Mon) 09:17 No.700
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11  木炭研究で学位を取られ、農林省などで日本の木炭産業の最盛期から衰亡までを見届けられた岸本定吉氏(1908-2003)の著作『炭』(丸ノ内出版、昭和51年)は考古学・歴史学の木炭史から現代の世界の木炭工業までを概観された名著です。

 その中に鉄と木炭として、「鉄山秘書(鉄山必要記事)」の木炭関係記事の現代語訳と解説があります。

 タタラで砂鉄を製錬する炭を大炭、銑鉄やケラから包丁鉄を作る鍛冶(大鍛冶)の使う炭を小炭というとあり、樹種、焼き方等の説明があります。小炭は「伏せ焼き」で炭窯を用いないで焼くとありました。

 また刀工の用いる炭は松と栗の炭を用いる。栗は若木でなく枯れた老木を、松は樹齢14、15年から30年ほどの若木から焼いたものがよい、縦割にして長さ2.5センチほどに切って使う。松炭を使うと粘りのある刀ができる、またフイゴを止めるとすぐ火が消えて燃料の無駄がない・・・などとありました。
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