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ICHGAMI SHAMUSHO+市神社務所+
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黒川道祐の刀剣談   野ア 準 : 2021/02/23(Tue) 22:31 No.701  
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8  江戸時代初期の京都の儒学者黒川道祐の随筆『遠碧軒記』(延宝三年1675ごろ、出版は宝暦六年1758)に当時の刀剣の噂が出ています。要約してみます。

○ 宮中には天国作の壺切の御太刀がある。いつの頃か婚礼の儀式で近衛殿に貸し出されそのままになっていたが主上御病の時召し返された。
○ 日本の刀鍛冶の始めはこの天国でこれ以前の刀鍛冶はいない。大同年間の人である。
○ それ以前のものは剣の姿であったか。
○ 半井家に和気清麻呂が宇佐八幡より拝領という奇妙な刀があり、本阿弥光甫によると唐の剣だという。
○公方昌山には「二つ銘」、「粟田口国綱の鬼丸」、「大傳太光世」の三宝剣があり、豊臣秀吉に献上させられた。いま二つ銘は愛宕神社、鬼丸は加賀前田家にある。大傳太は本阿弥より旧主に返された。
○ 小鍛冶は一条院の時代である。
○ 東福門院ご葬儀に用いた雲生の太刀は後に泉涌寺より返却された。

 この他神足、雲次などの名も見えますが、実見したのではなく巷間の噂のようです。江戸時代初期の文人の刀剣への関心と知識はうかがえます。
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刀と炭   野ア 準 : 2021/01/11(Mon) 09:17 No.700
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11  木炭研究で学位を取られ、農林省などで日本の木炭産業の最盛期から衰亡までを見届けられた岸本定吉氏(1908-2003)の著作『炭』(丸ノ内出版、昭和51年)は考古学・歴史学の木炭史から現代の世界の木炭工業までを概観された名著です。

 その中に鉄と木炭として、「鉄山秘書(鉄山必要記事)」の木炭関係記事の現代語訳と解説があります。

 タタラで砂鉄を製錬する炭を大炭、銑鉄やケラから包丁鉄を作る鍛冶(大鍛冶)の使う炭を小炭というとあり、樹種、焼き方等の説明があります。小炭は「伏せ焼き」で炭窯を用いないで焼くとありました。

 また刀工の用いる炭は松と栗の炭を用いる。栗は若木でなく枯れた老木を、松は樹齢14、15年から30年ほどの若木から焼いたものがよい、縦割にして長さ2.5センチほどに切って使う。松炭を使うと粘りのある刀ができる、またフイゴを止めるとすぐ火が消えて燃料の無駄がない・・・などとありました。
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明けまして おめでとうございます   真改 : 2021/01/01(Fri) 13:24 No.699
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1 本年も宜しくお願い申し上げます。 [返信]
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楓軒偶記より   野ア 準 : 2020/12/17(Thu) 20:22 No.698
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8  小宮山楓軒『楓軒偶記』文化四年(1807)に「名将の刀痕」として:

 永禄五年、三河国で一向一揆が起きたとき作岡の戦いで神君(徳川家康)は手づから槍をとって賊党の浪切孫七郎を傷つけた。浪切は馬を飛ばして逃げた。後年神君が浪切に「先年(作岡の)大善坂で余は汝を槍で突いたが、残っているか」。浪切は「それは別人でございましょう。私ではありませぬ」。神君はこの答で浪切を憎まれたという。
 慶長五年、会津陣で仙台政宗は刀を以て岡左内を斬った。後年政宗が左内にあった時「予が刀傷は猶あるか」と聞いた。左内は「その陣羽織は今もございます。名将の太刀の痕なので錦繍を以て修補し家の宝としております」。政宗は大いに喜んだ。
 思うに浪切にはなお賊心があって嘘を言ったのである。神君の憎まれたのも尤もな事だ。

 原文は難解な漢字が多いので現代語訳です。慶長五年に会津の上杉景勝と伊達政宗が戦った時、上杉方の武将岡左内が伊達家の本陣に斬り込み政宗と斬り結んだ事件はさまざまな伝承がありますが、これもその一つです。上杉方の宣伝か左内を豪傑、政宗を田舎大名扱いしている逸話が多いのですが、これはスマートな話です。

 今年も月刊できてほっとしています。来年も頑張りましょう。
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無題   野ア 準 : 2020/11/25(Wed) 19:13 No.695
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10 田舎侍さま

 正倉院文書の大部分は廃棄公文書で、更新の後に廃棄された戸籍、計帳などの裏を写経に用いた物です。そのため貴重な8世紀の社会経済史の同時代史料が大量に残りました。

 奈良時代の公文書はお手本の唐の律令文書にならい唐時代に流行した王羲之(おうぎし)流の楷書です。写経もお手本が唐の漢訳経典ですから楷書になります。私文書などには日中とも行書、叢書も使っているのですが。
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Re: 無題   田舎侍 : 2020/12/05(Sat) 12:02 No.696
1 返信有り難う御座います。
とても博学でいらっしゃり尚且つ分かり易く書いて下さり「鬼滅の刃」もチェック解析される範囲の広さ・・・ 尊敬しております。
これからも楽しみに見させて頂きます。




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Re: 無題   野ア 準 : 2020/12/08(Tue) 09:32 No.697
10 訂正

叢書 → 草書
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割り込み投稿のご無礼をお許しください   田舎侍 : 2020/11/07(Sat) 22:45 No.694
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1 初めて正倉院展展に行って参りました。コロナ対策の入場制限で混雑なく とてもゆっくり見ることが出来ました。

正倉院は宝物館では無く本当に倉庫なのですねというのが第一印象で、その奈良時代の実用品や帳簿類や祭事道具が綺麗に残っており我々が見られる奇跡 本当に素晴らしきかな日本です。

ところで中世の古文書は達筆な物が多い印象ですが正倉院の古文書はとても丁寧な書体で書かれているのが多いのは単純に役所の書類だからでしょうか? それとも奈良時代だからでしょうか?

全てが素晴らしかったです。




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タタラ製鉄から製炭業へ   野ア 準 : 2020/10/23(Fri) 17:53 No.692
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10 「鬼滅の刃」の設定を見ましたら時代は大正時代、主人公の竈門炭次郎は炭焼きの息子となっていました。

 アニメは戦闘につぐ戦闘で時代背景はあまり出てこないようですが、大正時代は日本木炭史では大きな変換期でした。明治の近代工業導入が一段落し高炉製鉄も国内で進展、国際貿易の発展で西欧の高級鋼、鉄素材と屑鉄の輸入が本格化し、タタラ製鉄が不採算を理由に終焉を迎えた時代です。

 製鉄に見切りをつけた東北や中国地方の鉄山業者は広大な山林を利用してタタラの燃料であった木炭を大量に生産、鉄道・海運を利用して都会に販売するようになります。現在も使用されている近代的な炭竈も普及、価格も下がり一般家庭での調理・暖房などへの木炭使用も増加しました。

 アニメ興行収入の記録をたてた「もののけ姫」の記録が炭次郎に破られるとは、タタラ製鉄から木炭製造への不思議な因縁であることよ、と思いました。
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Re: タタラ製鉄から製炭業へ   真改 : 2020/10/23(Fri) 19:46 No.693
1 ちょうど、昨日から娘が持ってきた「鬼滅の刃」の漫画本を読み始めたところでした。

先生のお話、いつも勉強をさせて頂いておりますが、今回は特に流行の例えと共に、より一層、歴史が頭に入りました。
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論議抜きの槍   野ア 準 : 2020/09/21(Mon) 20:17 No.691
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8  日本の武器のうち「槍」は南北朝〜室町時代に歩兵の武器として発達、足軽の長柄の槍と騎馬・徒武者の大身の槍などになります。大身の槍には「日本号」「蜻蛉切」などの名槍もあらわれ、「一番槍」などの名誉もありました。

 西洋でも中世騎士道の時代には「聖槍」と称えられる武器がありますが、キリスト教の聖遺物に「ロンギヌスの槍、Lancia Longinus」と言うのがありました。『ヨハネによる福音書19.34』に処刑されたイエスの死を確認するために「脇腹を突いた槍」が記載されています。

中世にキリスト教会が「聖遺物」を収集し始めると、「イエスを処刑した時の十字架の木片」「聖女ヴェロニカがイエスの汗をぬぐった布」などとともに「ローマ軍の兵士ロンギヌスがイエスの遺骸を突いた槍」が現れました。エルサレムから持ち出され各地を転々とし、現在はローマにあるそうですが、ロンギヌスなる名前が出てくるのも様々な霊験譚が語られるのもずっと後の時代のものだそうで、まあ、論議抜きの伝説の世界の話と受け取るべきでしょう。
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不動明王の剣   野ア 準 : 2020/08/05(Wed) 09:29 No.690
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11  仏教書専門店の在宅勤行集のコーナーに不動明王の巻があり、般若心経、不動経と祈祷文、各種の真言が記されていました。その中に説明抜きで「不動尊剣の文」と言うのがあり、不動明王と左右二童子、持物の説明に

「不動の剣は諸神がこもらせ給う。鋒(真先)に八幡大菩薩、焼刃は倶利伽羅不動明王、鎬は摩利支天、丸い鍔は満月。縁と頭は陰陽、切羽とハバキは阿吽、左右の目貫は金剛界・胎蔵界、左右三十三づつの柄節は日本六十六国の神祇、鮫肌は天の三百八十余神を著す」
 とあり、真言「なうまくさんまんだ ばざらだんかん」で終わります。

 読んだ限りでは諸刃の直刀で三鈷柄の「不動剣」でなく日本刀の説明です。何に用いた祈祷文なのでしょうか。
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平服の勝軍地蔵   野ア 準 : 2020/07/21(Tue) 17:39 No.689
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8  昨令和元年、京都秋の非公開文化財特別公開のメモを見ていましたら蘆山寺(ろさんじ)で「伝、明智光秀念持仏」という地蔵菩薩像が公開されていました。

 岩山の上の蓮台に僧衣をまとい、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ普通の地蔵菩薩像ですが、向かって右に不動明王、左に右手を腰に当て左手に鉾をもつ毘沙門天がいました。

 地蔵菩薩の脇侍は『延命地蔵経』に「掌善、掌悪の二童子」とあり、不動と毘沙門が脇侍とはありません。この配置は愛宕権現の本 地仏「勝軍地蔵」のものです。

 室町時代に武将の信仰が篤かった勝軍地蔵は僧衣の下に甲冑をまとい、兜をかぶり、白馬に乗り、不動・毘沙門を左右に従える姿で表わされますが、僧形のままで勝軍地蔵として扱われる例もあるのだなと思いました。確かに光秀は愛宕山への信仰が深い武将でした。

 地方寺院に「戦国武将の念持仏」とされている地蔵菩薩像がある場合も、本来不動・毘沙門が付属していなかったか再検討の必要があるのではと思いました。
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