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ICHGAMI SHAMUSHO+市神社務所+
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無題   野ア 準 : 2020/11/25(Wed) 19:13 No.695  
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10 田舎侍さま

 正倉院文書の大部分は廃棄公文書で、更新の後に廃棄された戸籍、計帳などの裏を写経に用いた物です。そのため貴重な8世紀の社会経済史の同時代史料が大量に残りました。

 奈良時代の公文書はお手本の唐の律令文書にならい唐時代に流行した王羲之(おうぎし)流の楷書です。写経もお手本が唐の漢訳経典ですから楷書になります。私文書などには日中とも行書、叢書も使っているのですが。
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割り込み投稿のご無礼をお許しください   田舎侍 : 2020/11/07(Sat) 22:45 No.694
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1 初めて正倉院展展に行って参りました。コロナ対策の入場制限で混雑なく とてもゆっくり見ることが出来ました。

正倉院は宝物館では無く本当に倉庫なのですねというのが第一印象で、その奈良時代の実用品や帳簿類や祭事道具が綺麗に残っており我々が見られる奇跡 本当に素晴らしきかな日本です。

ところで中世の古文書は達筆な物が多い印象ですが正倉院の古文書はとても丁寧な書体で書かれているのが多いのは単純に役所の書類だからでしょうか? それとも奈良時代だからでしょうか?

全てが素晴らしかったです。




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タタラ製鉄から製炭業へ   野ア 準 : 2020/10/23(Fri) 17:53 No.692
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10 「鬼滅の刃」の設定を見ましたら時代は大正時代、主人公の竈門炭次郎は炭焼きの息子となっていました。

 アニメは戦闘につぐ戦闘で時代背景はあまり出てこないようですが、大正時代は日本木炭史では大きな変換期でした。明治の近代工業導入が一段落し高炉製鉄も国内で進展、国際貿易の発展で西欧の高級鋼、鉄素材と屑鉄の輸入が本格化し、タタラ製鉄が不採算を理由に終焉を迎えた時代です。

 製鉄に見切りをつけた東北や中国地方の鉄山業者は広大な山林を利用してタタラの燃料であった木炭を大量に生産、鉄道・海運を利用して都会に販売するようになります。現在も使用されている近代的な炭竈も普及、価格も下がり一般家庭での調理・暖房などへの木炭使用も増加しました。

 アニメ興行収入の記録をたてた「もののけ姫」の記録が炭次郎に破られるとは、タタラ製鉄から木炭製造への不思議な因縁であることよ、と思いました。
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Re: タタラ製鉄から製炭業へ   真改 : 2020/10/23(Fri) 19:46 No.693
1 ちょうど、昨日から娘が持ってきた「鬼滅の刃」の漫画本を読み始めたところでした。

先生のお話、いつも勉強をさせて頂いておりますが、今回は特に流行の例えと共に、より一層、歴史が頭に入りました。
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論議抜きの槍   野ア 準 : 2020/09/21(Mon) 20:17 No.691
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8  日本の武器のうち「槍」は南北朝〜室町時代に歩兵の武器として発達、足軽の長柄の槍と騎馬・徒武者の大身の槍などになります。大身の槍には「日本号」「蜻蛉切」などの名槍もあらわれ、「一番槍」などの名誉もありました。

 西洋でも中世騎士道の時代には「聖槍」と称えられる武器がありますが、キリスト教の聖遺物に「ロンギヌスの槍、Lancia Longinus」と言うのがありました。『ヨハネによる福音書19.34』に処刑されたイエスの死を確認するために「脇腹を突いた槍」が記載されています。

中世にキリスト教会が「聖遺物」を収集し始めると、「イエスを処刑した時の十字架の木片」「聖女ヴェロニカがイエスの汗をぬぐった布」などとともに「ローマ軍の兵士ロンギヌスがイエスの遺骸を突いた槍」が現れました。エルサレムから持ち出され各地を転々とし、現在はローマにあるそうですが、ロンギヌスなる名前が出てくるのも様々な霊験譚が語られるのもずっと後の時代のものだそうで、まあ、論議抜きの伝説の世界の話と受け取るべきでしょう。
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不動明王の剣   野ア 準 : 2020/08/05(Wed) 09:29 No.690
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11  仏教書専門店の在宅勤行集のコーナーに不動明王の巻があり、般若心経、不動経と祈祷文、各種の真言が記されていました。その中に説明抜きで「不動尊剣の文」と言うのがあり、不動明王と左右二童子、持物の説明に

「不動の剣は諸神がこもらせ給う。鋒(真先)に八幡大菩薩、焼刃は倶利伽羅不動明王、鎬は摩利支天、丸い鍔は満月。縁と頭は陰陽、切羽とハバキは阿吽、左右の目貫は金剛界・胎蔵界、左右三十三づつの柄節は日本六十六国の神祇、鮫肌は天の三百八十余神を著す」
 とあり、真言「なうまくさんまんだ ばざらだんかん」で終わります。

 読んだ限りでは諸刃の直刀で三鈷柄の「不動剣」でなく日本刀の説明です。何に用いた祈祷文なのでしょうか。
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平服の勝軍地蔵   野ア 準 : 2020/07/21(Tue) 17:39 No.689
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8  昨令和元年、京都秋の非公開文化財特別公開のメモを見ていましたら蘆山寺(ろさんじ)で「伝、明智光秀念持仏」という地蔵菩薩像が公開されていました。

 岩山の上の蓮台に僧衣をまとい、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ普通の地蔵菩薩像ですが、向かって右に不動明王、左に右手を腰に当て左手に鉾をもつ毘沙門天がいました。

 地蔵菩薩の脇侍は『延命地蔵経』に「掌善、掌悪の二童子」とあり、不動と毘沙門が脇侍とはありません。この配置は愛宕権現の本 地仏「勝軍地蔵」のものです。

 室町時代に武将の信仰が篤かった勝軍地蔵は僧衣の下に甲冑をまとい、兜をかぶり、白馬に乗り、不動・毘沙門を左右に従える姿で表わされますが、僧形のままで勝軍地蔵として扱われる例もあるのだなと思いました。確かに光秀は愛宕山への信仰が深い武将でした。

 地方寺院に「戦国武将の念持仏」とされている地蔵菩薩像がある場合も、本来不動・毘沙門が付属していなかったか再検討の必要があるのではと思いました。
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五月雨のころ   野ア 準 : 2020/06/27(Sat) 08:27 No.687
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11  京都御苑内から豊臣秀吉晩年に築城され間もなく廃絶、「同時代史料はあるが遺跡も地名も伝承地も不明」だった「新城」の石垣・堀が発見されました。

京都御所の周辺には国史上重要な史跡なのに廃棄後の破却も徹底、正確な場所も遺跡も断片的にしか判らない城館がいくつかあり、秀吉の「聚楽第」さえも最近の断片的な発掘調査の集積でようやく平面が明らかになってきた所です。

 戦国末期の足利将軍邸は現在の京都御苑の南西、現平安女学院の付近で、「武衛陣町」の町名がある付近でした。武衛(兵衛督・斯波義将)の陣の所在地でした。

 永禄八年(1565)5月19日に将軍足利義輝が三好氏に暗殺された地です。剣術に長じた武将だったので自害前に大いに戦ったという伝説もあります。

さみだれは露か涙かほととぎす 我が名をあげよ雲の上まで
『続応仁後記』の伝える足利義輝辞世。享年30.
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Re: 五月雨のころ   花散里 : 2020/06/27(Sat) 17:53 No.688
1 この安土・桃山の時代、今からおおよそ400年余り前のことになりますが、時の為政者側の都合などによってあっという間に事実は葬り去られてしまうのでしょうね。

過去のことも、事実がぼかされ大人の事情によって語り継がれて行くみたいです。
織田信長の比叡山焼き討ちにしても、従来言われていた全山焼き討ちに対し近年の発掘調査では、意外なほどに燃え跡なども少なく何千人を殺したと言われて来た割には、人骨の出土なども無かったと聞きました。

真実は歴史の闇の向こうに・・・なのでしょうか?


コロナウィルスの影響はまだまだ続きそうです、ここまで頑張ってきましたのでこれから感染するのは悔しいです。
野崎先生も十分にお気を付けください。
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人間たちの歴史   野ア 準 : 2020/05/28(Thu) 21:28 No.686
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8 長篠合戦に武田勝頼五月廿一日に人数を出す。信長見給ひ、敵も多勢なり、三万あるべし。と宣(のたま)ふ。家康公仰に、此度の軍(いくさ)、味方勝なり。敵丸く打囲む時は六ヶ敷(むつかしく)、散って人数を多勢に見するは勢を頼みにする間、大方勝なり、と御意なり。酒井左衛門尉、承(うけたまは)って、尤もなる義と感じ奉るなり。(常山紀談)

 天正三年(1575)五月の長篠城をめぐる織田・徳川連合軍三万八千と武田軍1万二千の兵が設楽ヶ原で激突。織田・徳川の鉄砲隊に武田側が大敗した時の話です。常山紀談は江戸時代も中期の書ですが、戦国の世に大義と名誉の為に戦い散って行った人々の物語です。

 戦国時代の歴史小説は「主君の為には命も捨てる優秀な部下数千、数万を率いて、勝敗は天の定める所、と勇壮に戦う人間たちの歴史」がヒットしたのですが、小説も映画・テレビもいつの間にかこういう世界は描かなくなりました。寂しいことです。
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天命逃れ難し   野ア 準 : 2020/04/27(Mon) 11:55 No.685
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11  武家故実の伊勢貞丈(1718-84)の『軍神問答』は

「当節の武士は毘沙門天・大黒天・弁財天、或いは摩利支天、夜叉神、勝軍地蔵を軍神としているが、いずれも天竺の神。日本の武士なら大已貴命・武甕槌命・経津主命を祭り、甲冑を神の依代として勝利を祈れ」という趣旨です。

その中に、現代語訳しますと;
「問う、楠木正成のごとき良将・忠臣が大義のために戦った湊川合戦で討ち死にしたのは軍神の加護がなかったからか?」
「答う、合戦の勝敗は天命、すなわち運命が決する。天命は軍神にも変えられず、人知では予測できない。中国古代の聖人も天命を恐れた」
とありました。軍記などで「大義のため挙兵したが破れたのは天命の定め」などとあるのはこれですね。

新型コロナウィルスの蔓延でふと思い出しました。日常生活で気をつけてもいつ感染して肺炎併発、医療崩壊で「酸素吸入器不足・若い人優先・高齢者は安楽死」・・・となったら、これは「天命逃れ難し」かも。まあ、その時は「古武士の如く従容として逝く」の覚悟は必要でしょうね。

皆様にもどうかご無事でご健康・ご長寿を。
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『日本略史』の鉄炮伝来記事   野ア 準 : 2020/03/24(Tue) 16:50 No.683
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 既出『日本略史』第五巻、天文十二年(1543)に;

八月。葡萄牙(ぽるとがる)ノ人百余人、一大船ニ乗シ種島【大隅】ニ来ル。言語通ゼズ。杖ヲ以テ沙ニ書キ、互市ヲ求ムルノ意ヲ示ス。時ニ葡人鳥銃ヲ齎(もたら)シ来ル。島主時尭(ときたか)、之ヲ購ヒ、人ヲシテ之ヲ學バシム。是ヨリ吾邦初テ鳥銃アリ、耶蘇教ノ我国ニ入ル、亦是ヨリ始ル。

 この種本は薩摩の僧南浦文之の『鉄炮記』で、海外史料とも矛盾しないというので、日本への鉄砲伝来は1543年、はほぼ定説でしたが、その後はこれ以前の鉄砲使用の記録あり、とか南蛮船でなく明の船だとか異論も出ているようです。

 海外から伝えられた新兵器を直ちに国産でき、30〜40年後には弓矢・槍に代り歩兵の主要武器になるのは日本の鉄加工技術のレベルが高かったから、と言われています。
 なお鉄の鍛接に硼砂を使うのはこの時南蛮人から教わったという説もあり、技術の交流は他にもあったようです。
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Re: 『日本略史』の鉄炮伝来記事   田舎侍 : 2020/04/22(Wed) 00:20 No.684
1 甲陽軍鑑 信長公記 そしてNHK大河ドラマ脚本 この3つが私たちが刷り込まれた戦国歴史ですね(笑)
まぁ ルイスフロイスや貿易商など外国人の報告も自分を美化してるでしょうし 真実は??



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