お名前 Eメール タイトル メッセージ URLの自動リンク無効 > 長篠合戦に武田勝頼五月廿一日に人数を出す。信長見給ひ、敵も多勢なり、三万あるべし。と宣(のたま)ふ。家康公仰に、此度の軍(いくさ)、味方勝なり。敵丸く打囲む時は六ヶ敷(むつかしく)、散って人数を多勢に見するは勢を頼みにする間、大方勝なり、と御意なり。酒井左衛門尉、承(うけたまは)って、尤もなる義と感じ奉るなり。(常山紀談) > > 天正三年(1575)五月の長篠城をめぐる織田・徳川連合軍三万八千と武田軍1万二千の兵が設楽ヶ原で激突。織田・徳川の鉄砲隊に武田側が大敗した時の話です。常山紀談は江戸時代も中期の書ですが、戦国の世に大義と名誉の為に戦い散って行った人々の物語です。 > > 戦国時代の歴史小説は「主君の為には命も捨てる優秀な部下数千、数万を率いて、勝敗は天の定める所、と勇壮に戦う人間たちの歴史」がヒットしたのですが、小説も映画・テレビもいつの間にかこういう世界は描かなくなりました。寂しいことです。 > URL イメージ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 [イメージ参照] 暗証キー (英数字で8文字以内) 文字色 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 記事移動 管理人の設定 移動しない トップへ移動 クッキー クッキー情報を記録しない プレビュー 確認する 投稿後このスレッドに戻る
▼ 人間たちの歴史 - 野ア 準 2020/05/28(Thu) 21:28 No.686 <<表示中