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一陽来復評定所

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【親記事】
職人の道具
真改 : 2025/06/23(Mon) 16:54 No.7648
白影 倉庫の片付けをしていると、一つの布に包まれた道具が出てきた。それは、明治30年生まれの祖父の畳道具で、小学校を出てすぐに丁稚奉公に出た後に独立し、「西城屋」の屋号で活躍をしていたと聞く。

私も50年も前に、この布に包まれた道具を見せてもらったことがある。大きな畳包丁、そう小学生の自分には感じたが、今は小さく見える。鋼で出来ていて、よう切れると、父から解説を受けた記憶がある。
道具箱は、古文書を何枚も糊で張った頑丈な紙製で、コンパクトに持ち運びができるように工夫されて収納されている。祖父が畳職人を辞めた時のまま、この道具たちも時は止まったまま。
この道具と腕一つで家族を支えてきた祖父に、あらためて敬意を表する。
エピソードがある。
あるお客さんから、畳の新調の依頼を受けた祖父は、まだまだ使える畳を見て、破れたその部分だけの補修を丁寧に行い、帰ってきた。
後日、客からは、新調を頼んだのに修繕とはなにごとだと、お叱りを受けたようだが、明治大正昭和と戦争や貧しい時代を生きた祖父には、物を大事にして長く使うという精神が宿っていたのだ。
それが職人としての生きざまでもあった。まだまだ使える畳を処分するのもしのびなかったのだろう。儲けようと思えば新調すればよいのに、それをあえてせずに修繕した祖父の心意気。

その祖父の畳道具を包んでいた継ぎ接ぎだらけの、風呂敷とも呼べないボロイ布を洗った。おそらく100年以上前の布だ。破れることも覚悟で洗剤を付けて洗った。100年の汚れが泥のように流れた。
乾燥させたら破れることもなく、また、元のように道具箱を包むことができた。
プラスチックのケースに入れて、防虫剤を入れ、大切に片づけた。
無口な祖父であったが、大のプロレス好きで、身長も80歳を過ぎてなお、170センチもあるような大きな人であった。
本当か嘘か知らないが、徴兵検査において、身長が高すぎるがゆえに、お前に合う軍服がないと不合格になったというエピソードが伝えられている。

道具を見て故人を偲ぶ。
片付けの合間に、疲れも吹き飛ぶような初夏の風が吹き、一時の思い出に浸ることができた。
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