延寿国吉
御刀天国 : 2020/02/01(Sat) 00:19
No.7482
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昨年波平さんや、花散里さんとのオフ会の時にお話しした延寿の太刀です。 ただし光遜の金粉銘で国吉とあるだけで、延寿というのは私の勝手な思い込みです。 根拠は、 1、輪反りである。 2、元幅に比べ、先幅が細って小切先になって、延寿国村 によくみられる体配である。 3、茎がやや長い。 4、丸留め両チリの棒樋がある。 5、良く詰んだ肌であるが、底に沈んだ大肌がある。 6、直刃調で来国行のような刃文である。 7、沸映りのような映りが立っている。 等ですが、これがお話したように保存審査不合格でした。 理由は金粉銘不同意だそうです。国吉という刀工は数名いるようですが、どこの国吉と不同意なんでしょうね。
因みに稲垣史生氏の「考証武家奇談」という本によりますと足利義教の「抜け国吉」は延寿国吉だったみたいですね。
この刀は生の姿で、地鉄も見どころも多く、刃文も働きの多い直刃なので、我が家名物「不同意国吉」としてしばらく愛蔵しようと思います。
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Re: 延寿国吉
花散里 : 2020/02/01(Sat) 11:45
No.7483
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御刀天国さん、わざわざ写真を投稿いただきありがとうございます。 遠目ながら、なかなか見所のある優品と思います。
「金粉銘不同意」ですか・・・おっしゃるとおり「国吉」と銘する刀工は十指に余り、その中の有名どころでも、鳴狐の作者である「粟田口国吉」、「千住院国吉」、「雲次の初銘」、「西蓮の実名」、「延寿国吉」などがいるようですね。
こうした鑑定所見は、協会への不満点ですね。 無料と言うならいざ知らず、それなりの権威者が複数で有料にて鑑定を行うならば、もう少し丁寧な説明があってしかるべきと思います。 言い方を変えれば、御刀天国さんの持ち物に「ケチ」を付けた訳ですから、納得できる説明があってしかるべきです。 「違います」だけではなく「〇〇と見られ、銘国吉には不同意」くらいの説明が無いと納得できないですよね。 「伝〇〇」も、何だかなぁ・・・って、気がしますしね。
いずれにしても御刀天国家伝来「不同意国吉」、眼福でした<(_ _)> |
Re: 延寿国吉
波平 : 2020/02/02(Sun) 00:07
No.7484
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御刀天国さん、お写真ありがとうございます。お話に伺うだけでなくこのように拝見させていただくと良く実際のお姿が分かりますね。 はじめに国吉と伺いました時延寿でなければ西蓮をまず思い浮かべました。その後の大左にも通じる血筋ですが一時所蔵したことがございます。延寿は手にしたことがございませんが古雅な味わいを感ずる御刀ですね。 協会の鑑定には以前から様々な意見がありますね。今回は金粉銘不同意とのことで全く不親切なものです。花散里さんのおっしゃるように説明不十分の一語に尽きると思います。私は結論だけを示す現行の方法では昔の特別貴重のように信頼性に?が出されなければ良いがと思います。「不同意国吉」令和名物帳記載ということで^_^ |
Re: 延寿国吉
御刀天国 : 2020/02/02(Sun) 16:38
No.7485
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花散里さん、波平さん、コメント有難うございます。この刀は、少し事情があって知人から手元に引き取ったもので、もし店頭にあったら手を出さなかったと思います。 この金粉銘を削除すれば、何らかの極めが付いて保存になると思いますが、日本に送って登録をとって、と手続きが煩瑣ですので、このままで愛蔵しようと思います。それにしても光遜の極めは玉石混交で、50/50と言われていますが、現在の協会の審査では否定されるものが多いようですね。 |
Re: 延寿国吉
花散里 : 2020/02/05(Wed) 17:21
No.7486
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光遜師に限らず、研究が進むと共に過去の業績が否定されてしまうのは、よく耳にするところです。 本阿弥光遜師については「日本刀の掟と特徴」の著者くらいの認識でしたが、以下、日本美術年鑑からの引用です。
本阿弥光遜:没年月日:1955/07/26 美術刀剣保存協会評議員、審査顧問本阿弥光遜は、7月26日新宿区の自宅で肺臓癌のため逝去した。享年77歳。明治12年4月29日群馬県前橋市に生れ、12歳の時上京して本阿弥琳雅の門に入つて刀剣鑑定と研磨を修業した。明治40年独立し、日本刀研究会を起して刀剣趣味の普及に尽力した。戦後は、美術刀剣保存協会の審査顧問であり、評議員を兼ねて貴重刀剣の認定に協力した。著書に「日本刀」(大正3年)、「日本刀大観」、「刀剣鑑定講話」等がある。
また、日本美術年鑑の他の記載から、次のように人間国宝2人の師匠でもありました。
永山光幹:没年月日:2010/03/22 刀剣研磨で重要無形文化財保持者である永山光幹は3月22日死去した。享年90。1920(大正9)年3月21日、神奈川県中郡相川村(現、厚木市)の農家に7人兄弟の末子として生まれる。本名永山茂。1934(昭和9)年、14歳のとき東京下谷区黒門町の研師で、鑑定家でもあった本阿弥光遜に入門し、刀剣研磨の道に進む。師の光遜は水戸の本阿弥家の研師であったが、別系統で名人と呼ばれていた本阿弥琳雅に学び、将軍家や大名の所蔵していた刀剣を代々伝承された技で研ぐ家研ぎの継承者であった。44年、兵役に召集され歩兵第49連隊に入営し中国に出征し、現地でも軍刀の研磨に従事した。46年、復員し、ただちに光遜に再入門するが、戦後進駐軍による日本刀の没収、愛好家や旧大名の経済力の低下などにより、本格的な研磨の依頼はほとんどなかったと本人は回顧している。
小野光敬:没年月日:1994/06/29 国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)の刀剣研磨師小野光敬は6月29日午前1時18分、肝不全のため神奈川県藤沢市の病院で死去した。享年80。大正2(1913)年7月30日、岩手県盛岡市に生まれる。本名清之助(せいのすけ)。刀剣研磨の道に志し、昭和4(1929)年、研師加藤勇之助に入門。同13年には上京して本阿弥光遜(こうそん)に師事し、万剣制作に関する基礎的知識を得ると共に、相州伝を中心に各伝の鍛法をいかす正統な技法を学んだ上、本阿弥流の「家研ぎ」の技法を修得、同18年独立し、以後、専ら優品の研磨に従事した。 |
Re: 延寿国吉
法城寺 : 2020/02/14(Fri) 17:28
No.7487
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そんなことがあったんですねえ。確かに不親切ですねえ。 私も手掻極めで特別保存の大磨りあげ無銘が、実は登録証が偽物だったようで再登録したままになっている刀があります。 再審査に出したらどうなるでしょうねえ。 |
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